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浜崎あゆみコミュニティー

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コミュ内全体

詳細 2016年5月3日 16:20更新

あゆの魅力と歌唱力のとりこにされてるアナタ一緒にあゆを語り合いましょう!

来歴

〜1997年 モデルから女優へ
10代前半から地元福岡のモデル事務所に所属、当時は「浜崎くるみ」の芸名で福岡中央銀行のポスターやその他地元商業広告に登場。その後、東京の大手芸能プロダクションサンミュージックにスカウトされた(現在も都営地下鉄浅草線浅草駅の押上・成田空港・印旛日本医大・芝山千代田方面ホームに掲示されているタレント養成所の広告には、加藤晴彦とともに昔の写真が使われている)。1993年、テレビドラマ『ツインズ教師』で女優としてデビュー。1994年、芸名を「浜あゆみ『崎』の異体字『』」に改名し、1996年末にサンミュージックとの契約が切れるまで、テレビドラマや映画等に出演していた。1997年、本格的に歌手を目指すことになり、ボイストレーニングのためニューヨークへ渡った。


1998年〜2000年 歌手デビュー 女子高生のカリスマへ
1998年4月8日発売の1stシングル『poker face』で「浜崎あゆみ」としてデビュー、オリコン最高位20位を記録。8月5日発売の3rdシングル『Trust』ではオリコンチャート初TOP10入りを果たす。 1999年1月1日発売の1stアルバム『A Song for ××』でオリコンチャート1位を初獲得。約150万枚を売り上げた。4月14日発売の7thシングル『LOVE 〜Destiny〜 / LOVE 〜since1999〜』でシングル初のオリコンチャート1位を獲得。8月11日発売の10thシングル『A』が初のミリオンセラーとなり、前作の『Boys & Girls』も遅れてミリオンセラーとなった。12月31日、NHK紅白歌合戦に初出場を果たす。 2000年4月より初めてのコンサートツアー CONCERT TOUR 2000 A (第一幕、第二幕と題し全国を2巡)に挑むも、左耳の疾患(内耳性突発難聴)により一部公演を延期。11月、全日本有線放送大賞でグランプリを受賞。以降、2001年と2002年のALL JAPANリクエストアワード、2003年のベストヒット歌謡祭でもグランプリを受賞し、4連覇を達成している。12月13日発売の19thシングル『M』では初の作曲を手掛け(『CREA』名義)、ミリオンセラーを記録する。12月31日、初のカウントダウンライブを開催。以来毎年の恒例となっている。


2001年〜2003年 A BEST発売 レコード大賞三連覇
2001年3月28日、ベストアルバム『A BEST』を発売。宇多田ヒカルの2ndアルバム『Distance』との同日発売が注目を集めた。結果、宇多田に敗れたものの、どちらも400万枚以上も売り上げた。夏には東京、大阪、名古屋、福岡の4大ドームツアーを行った。9月27日発売の24thシングル『Dearest』で日本レコード大賞受賞。以降、2002年、2003年で史上初の3連覇を果たす。また9月にはTOKIOの長瀬智也との交際が明らかになった(1993年に自身が出演していたツインズ教師で共演したのを機に知り合った)。 2002年4月24日発売の26thシングル『Free & Easy』は雑誌「Free & Easy」とコラボレーション企画であり、同時に同雑誌の別刊「浜崎共和国」を発売する。 7月24日発売の27thシングル『H』が、日本のシングルCD売り上げが全体的に低迷した2002年唯一、オリコン・日本レコード協会のでのシングルミリオンセラーを記録した。9月26日発売の28thシングル『Voyage』に合わせて短編映画「月に沈む」(監督:行定勲)が公開(後にDVDとして発売)。歌手デビュー以降初めて女優業を行う。10月12日、初のレギュラー、総合司会を務める番組「ayu ready?」がスタートした。 2003年3月12日発売のバラードベスト『A BALLADS』ではファン投票により選曲され、多くの曲が別バージョンで収録された。また、5thアルバム『RAINBOW』の初回盤購入者がインターネット上のみで聴くことができたインスト楽曲に、10万人以上のメッセージを読んだ自身が詞をつけて完成させた「RAINBOW」が収録された。7月9日発売の29thシングル『&』は、これまで短期間でのシングル発売が目立っていたのに対し、前作から10ヶ月ぶりのシングルであった。この頃からプロモーションビデオにも力を入れるようになった。 10月、シングル30枚発売を記念し、それまでのシングル曲中心のスペシャルライブA museum 〜30th single collection live〜が行われた。12月17日、初のミニアルバム『Memorial address』を発売する。Bonus Trackの「Memorial address」以外の収録曲全てに対しPVが作られた。


2004年〜2006年 エイベックスお家騒動 歌手業専念期
2004年3月20日、総合司会を務めていた番組「ayu ready?」の放送が終了した。この頃からそれまでのCMキャラクターの多くを降板し、歌手業に専念している。爆発的なヒットはないものの、CDシングルの累計売上枚数は30万枚前後と安定していた。7月末、エイベックスお家騒動が起こる(→概要、エイベックス参照)。 2005年11月30日発売の38thシングル『Bold & Delicious/Pride』は海外アーティスト(GEO of SWEETBOX)とコラボレーションに挑戦したが、アルバムの先行シングルだった等の要因もあって累計15万枚程度にまでセールスを落としてしまう。 2006年6月21日に発売された40thシングル『BLUE BIRD』では売上を累計26万枚にまで回復したと同時に、ソロ歌手および女性ボーカルでは史上初のシングル総売上2000万枚を達成する(ちなみに、総売上2000万枚を達成しているのは他にB'z、サザンオールスターズ、Mr.Children、SMAPの4組のみ)。11月29日に発売された8thアルバム『Secret』は当初、2ndミニアルバム(全7曲収録)として公式サイトに告知されていた。しかし、選曲の問題や本人の出演するPanasonicのCM曲である「JEWEL/1LOVE」の反響が大きく、その結果、8th フルアルバム(14曲収録)へ変更した。NHK紅白歌合戦では「JEWEL」を選曲し、初めてアルバム曲を披露することになった。


2007年〜現在 A BEST 2発売 歌手デビュー10周年
2007年2月28日、『A BEST 2 -BLACK-』、『A BEST 2 WHITE-』が発売された。オリコン・チャート1位および2位を初登場で独占。この記録は女性アーティストとしては、1970年の藤圭子の記録以来、36年ぶりの記録であった。3月10日から初の海外公演(台北、香港、上海)を含むライブツアーが行われた。7月18日発売の41stシングル『glitter/fated』のDVDには香港の俳優・余文樂(ショーン・ユー)と共演し、ショートフィルム「距愛 〜Distance Love〜」が収録されている。また、発売日直前の7月13日、音楽番組のプロモーションライブ終了直後、長らく交際していたTOKIOの長瀬智也と破局した事を自身のファンクラブのブログで発表した。12月5日には、初のデジタル・ダウンロード規格のみのシングルである43rdシングル『Together When...』を発表。 2008年1月4日、自身のファンクラブのブログにおいて、以前から抱えていた左耳の疾患(内耳性突発難聴)が悪化し「治療の術はない」と、左耳の聴覚が失われもう治らなくなったことを告白した。4月8日にデビュー10周年記念を迎え、記念シングル『Mirrorcle World』を発売した。4月6日より、10周年記念ライブツアーASIA TOUR 2008 〜10th Anniversary〜を開始された。


人物
浜崎あゆみは20世紀末に現れた日本を代表する女性ポップス歌手である。 歌手デビュー当時は歌手でありながら、アイドルとも思わせるルックスを持ち合わせ煌びやかな一面を見せていたが、自身の暗い心の闇も歌詞に綴り、男女問わず多くのファンから共感を得た。今も多くの彼女のファンが存在している。 また、名字の「浜崎(濱崎)」の正しい読み方は「はまざき」ではなくて「はまさき」である。出身地である九州地方に多い名字である。 犬(小型犬)好きでチワワ、ミニチュアダックスフンドなどを飼っている。仕事場に連れてくるのはもちろん、2005年のツアーではMC中にステージに登場したこともある。 歌手デビュー前にボイストレーニングのために渡米しているが、英語は不得意だとコメントしていた。2006年12月にCNNの日本特集『Japan now』期間中に放送された対談番組『Talk Asia』では、短時間ではあったが英語でを披露している。2007年のアジアツアーをきっかけに本格的に英語の勉強を始める。


影響
1998年、多くの化粧品会社、製菓メーカー等とタイアップし、テレビ・雑誌等のメディアから「浜崎あゆみ」への注目度が上がった。 1999年、初のアルバム『A Song for ××』の表題曲「A Song for ××」をはじめ、自作の歌詞が当時の女子中高生を中心に大きな支持を受ける。 2000年頃にはCDの売り上げ枚数がミリオンを達成することが多々あり、また多くのCMや雑誌に出演し、総合司会を務めるテレビ番組を持つほどであった。この頃からマスコミなどで「女子高生のカリスマ」と呼ばれ、彼女のファッションや奇抜な行動は女子中高生を中心に多大なる影響を及ぼし、ファッションリーダーとしてネイルアート、大きなサングラス、豹柄などの流行を生み出す社会現象となった(後にベストジーニストやネイルクイーンでは殿堂入りも果たしている)。 2001年秋にはアルバムの発売が延期されたとの情報で所属レコード会社エイベックスの株価が下落するなど、エイベックスの看板歌手としての側面も注目されるようになった。また、一時は同社の売り上げの4割を占めたこともあり、同社の経営体質の弱点として「あゆ依存」という言葉も生まれた。現在はCD売り上げ自体は全盛期に比べると落ち着いているが、騒動がある度にエイベックス株価が変動する程の影響力があることは変わっていない。


内耳性突発難聴
2000年、初のコンサートツアーの第二幕直前に多忙なスケジュールの積み重ね等の理由によって、左耳の疾患(内耳性突発難聴)を患い、一部公演を延期した。医者からはすぐ治療にとりかかるべきだと告げられていたが、ツアーを強行した。後に左耳の聴覚が弱くなる後遺症を負ったことを公表した。その後も定期健診は受けるが、治療のための休養をとらず、2007年末頃には左耳の聴覚が完全に失われたと発表していた。


諸騒動

虚偽による暴言騒動
2002年、インターネットを発端として「浜崎あゆみが身障者の少女を罵倒した」という噂が流れ、それも動画付きというかなり信憑性に富むものであった。新聞報道にまで拡大し、瞬く間に公式ページやファンページが炎上した。これについてavexからは当時の会長兼社長・依田巽が声明文を発表したものの、誠意が感じられないことや、本人の謝罪文でなかったことなどから大炎上に繋がる。しかし、後にこれが完全なる虚偽であり、実際には2001年のカウントダウンライブの映像をとある大学生が「障害者を罵倒した」と取れるように加工し、そのように見せかけただけであることが判明し、後日その大学生は逮捕されている。雑誌「Free & Easy」とのコラボレーション雑誌「浜崎共和国」において「自分がデマを撒かれたことよりも、そのデマにファンが迷ったり辛い思いをしたのなら、そのほうがよっぽど辛い」とのコメントを発表している。なお、この事件の影響でこの年のアリーナツアーではスポンサーがつかない事態となり(浜崎のライブでスポンサーがつかなかったのはこの時のみである)、2003年1月に発売された問題のカウントダウンライブのDVDはアンコールがほぼ丸ごと(ラストの「Endless Sorrow "gone with the wind ver."」以外)カットされてしまった。

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開設日
2007年8月11日

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カテゴリ
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