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ランバール公妃

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詳細 2017年1月6日 00:10更新

ランバール公妃 マリー・テレーズ・ルイーズ・ドゥ・サヴォワ=カリニャン【Marie Therese Louise de Savoie-Carignan,Princesse de Lamballe 1749.9.8-1792.9.3】


フランス王妃マリー・アントワネットの寵姫、腹臣。


マリア・テレサ・ルイーザは1749年にサヴォワ家のルイージ・ヴィットリオ・ディ・サヴォイア=カリニャーノ公(サルデーニャ王カルロ・アルベルトの曽祖父)と、クリスティーネ・ヘンリエッテ・ヘッセン=ラインフェルト=ローテンブルク公妃の四女としてトリノに生まれる。

サヴォワ(サヴォイア)家はサルデーニャ王国を統治した君主の家系で、北イタリアのトリノを中心に、ピエモンテやニース、サルデーニャ島も加わり、1861年には一時イタリア統一国家の国王にもなった家柄。

1767年ルイ14世の曾孫ランバール公ルイ・アレクサンドル王子と結婚し、王家の一員となりランバール公妃となった。
ルイ14世とその寵姫モンテスパン侯爵夫人との間に生まれたトゥールーズ伯爵の息子である義父パンティエーヴル=ランブイエ公は、当時のフランスで三番目の資産家であり(一番は国王、二番目はオルレアン家)フランス有数の家格と血筋といえた。しかし、翌1768年に夫と死別、18歳で寡婦となる。

ちなみに、ルイ16世の二人の弟、プロヴァンス伯爵(後のルイ18世)とアルトワ伯爵(後のシャルル10世)の妃たち、マリー・ジョセフィーヌ・ルイーズ・ドゥ・サヴォワとマリー・テレーズ・ドゥ・サヴォワ、この二人は姉妹でランバール公妃の従姉妹にあたる。
また、彼ら兄弟の妹クロティルド内親王もまた王弟妃たちの兄であるサルデーニャ国王カルロ・エマヌエーレ4世に嫁いでいる。
国王夫妻以外の兄弟姉妹たちは、こうしてフランス王家とサルデーニャ王家の間で兄弟姉妹の交換といえる婚姻関係を密に結んでいる。

マリー・アントワネットがフランスに嫁いできた1770年からランバール公妃は宮廷に仕えるようになり、王妃が公妃のために用意立てた格別の官職、総女官長の地位を得る。これは莫大な額の年俸を支払わねばならないためにルイ15世が廃止した官職といわれている。

やがて、後々王妃の声望にも国家財政にも最大の害を与えることになるポリニャック伯爵夫人に寵愛が移るなどして1786年に宮廷を去る。奇しくもランバール公妃とポリニャック伯爵夫人は生年月日が同じだった。

1791年には国王一家への援助要請のためにイギリスへ渡る。革命の危機のさなか「友」の窮地を知るや命の危険を顧みずイギリスからフランスに戻り、テュイルリー宮殿へ駆けつけ私室を王党派の拠点として提供し、国王一家の救出に尽力した。
1792年8月10日、国王一家とともにタンプル塔へ幽閉される。8月19日にはラ・フォルス監獄に移され、そこで革命の正当性を認めることと王妃への誹謗中傷を強要されたが、忠誠心からこれらを拒絶した。
1792年9月3日、彼女が王族であり王妃の親しい友人であるということに憎悪した民衆によって惨殺された。公妃の遺体を弄び、冒涜する輩もいたという。

後年、孤立無援、四面楚歌となった王妃マリー・アントワネットの心の支えとなった、この誠意ある高潔の貴婦人がお好きな方はどうぞ。


【検索用】マリー・アントワネット、ルイ14世、ポリニャック伯爵夫人、ヴェルサイユ、サヴォワ、ブルボン、ピエモンテ、サルデーニャ、ルイ15世

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カテゴリ
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