壱岐 春記(いき はるき)
1912年(明治45)〜2011年(平成23)10月8日
世界戦史に残るマレー沖海戦後の昭和16年12月18日、第二次攻撃隊長だった壱岐春記大尉は任務からの帰路、イギリス戦艦の沈没した海域を通過し、機上から沈没現場の海面に花束を投下して、日英両軍の戦死者に対し敬意を表した。
この慰霊飛行は新聞にも報道され、武士道精神あふれる「戦場美談」として内外に知られることになった。戦時中のわずかな期間だったが、国民学校の教科書にもこのエピソードが紹介されたという。
※背景画像:一式陸上攻撃機11型(G4M1)鹿屋海軍航空隊分隊長 壱岐春記大尉機
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鹿児島県生まれ。1931年(昭和6)海軍兵学校入学(62期)、1934年(昭和9)卒業。1937年(昭和12)第28期飛行学生卒業、佐世保海軍航空隊に入隊。館山航空隊、高雄航空隊に勤務。
第13海軍航空隊(13空)では九六式陸攻を駆って重慶爆撃に参加。太平洋戦争開戦時は鹿屋海軍航空隊(鹿屋空)第3中隊長として一式陸攻部隊を率い、1941年(昭和16)12月10日のマレー沖海戦で戦艦レパルスを攻撃、撃沈した。
その後も、何度も乗機が被弾しながら、壱岐大尉の飛行機では一人の戦死者も、負傷者も出さなかったという。
1944年(昭和19)8月には陸上爆撃機『銀河』を装備する攻撃第406飛行隊の飛行隊長に就任。終戦時は豊橋空飛行長、少佐。総飛行時間は3441時間。
戦後は航空自衛隊に勤務し、一等空佐で退官。その後は東郷会顧問、中攻会代表世話人を務めた。2011年(平成23)10月8日永眠99歳。
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