mixiで趣味の話をしよう

mixiコミュニティには270万を超える趣味コミュニティがあるよ
ログインもしくは登録をして同じ趣味の人と出会おう♪

ホーム > コミュニティ > 車、バイク > M・ブランドル

M・ブランドル

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コミュ内全体

詳細 2016年7月29日 13:08更新

超一流の腕を持ちながら、
ツキに見放され続けた職人F1ドライバー、
マーティン・ブランドルのコミュニティです。

・マーティンの地味であまり目立たないところ、控え目な人間性が好きだ目がハート
・最高位は2位だがく〜(落胆した顔)
・PP、FLを記録していない時計
・ティレルで骨折した頃から知っている病院
・WSPCでチャンピオンになった時代や、ルマンで優勝したマーティンを知っている王冠
・テクニカルコースやストリートを走らせたら一流指でOK
・ベストレースは'92シルバーストンだ目がハート
・'95リジェで亜久里ではなく、マーティンを応援していたあせあせ
・初期のプジョーエンジン、ブローしすぎ衝撃
・F1ではアレジとよく絡んだウッシッシ
・嫁の名前はリズ(エリザベス)だ乙女座
・子供は1男1女チャペル
といった考えの方の参加をお待ちしております。

名前:Martin・John・Brundle(マーティン・ジョン・ブランドル)
国籍:イギリス
出身地:イングランド・ノーフォーク州キングスリン
生年月日:1959.6.1
身長:171cm
体重:72kg(現役時代?)
出走回数:158戦
タイトル:0
優勝回数:0
通算獲得ポイント:98
表彰台回数:9
ポールポジション:0
ファステストラップ:0
F1デビュー戦:'84ブラジルGP


'80半ば〜90半ばまでF1で活躍した。途中ジャガーでのWSPC(世界スポーツプロトタイプカー選手権)チャンピオンやルマン24時間、デイトナ24時間優勝の実績も持つ。
'77〜'78トヨタからBTCC(イギリスツーリングカー選手権)参戦、
'79〜'80まではイギリスFF2000に参戦した。
'81からイギリスF3選手権に参戦、'83にはあのアイルトン・セナと最終戦までチャンピオンを争うが、惜しくも敗れた。

'84にティレルからF1にデビュー。デビュー戦いきなり5位、デトロイトで行われたアメリカ東GPでは2位初表彰台を記録するなど新人離れした走りで注目を浴びるが、シーズン途中(アメリカGP・ダラス)で負傷しドライバーの座を失った上にチームがマシンに違法なガソリンを使用したとして全結果を剥奪される。復帰後もチームはルノーを獲得するもあまり速くなく、ザクスピードのような弱小チームに移籍するなど表彰台には届かない成績が続いた。'89モナコGPでは非力なブラバム・ジャッドで予選4位からスタート、決勝で3位を走行し事実上初の表彰台と思われたがマシントラブルでピットイン、6位でゴールはしたがまたツキに見放されてしまった。

'88と'90はF1を離れた(ただし'88はウィリアムズから1戦のみ参戦、7位完走)。離れた2年間では'88に世界スポーツプロトタイプカー選手権(WSPC)でチャンピオンを獲得したほか、デイトナ24時間レースやル・マン24時間レースで優勝するなど、スポーツカーレースで活躍する。他にも'85、'87、'91にもF1に参戦する傍ら助っ人参戦し、優勝するなど結果を残した。

'91にブラバムでF1に本格復帰、悲惨な状態だった末期のブラバムで、予備予選を戦いながら2ポイントを獲得した。この年からの6年間で、F1キャリアで獲得したポイントの多くを獲得している。しかし「一流の腕」を持ちながらどこかインパクトに欠けるブランドルは、1年で次々とチームを移ることになる。

'92にはトム・ウォーキンショーのおかげでベネトンのシートを獲得し(相棒は何とあのミハエル・シューマッハであった)、初めて競争力のあるマシンで参戦する機会を得て、初の表彰台を含め、9戦連続入賞の離れ業を達成する。母国イギリスではF3時代にセナと競ったシルバーストン・サーキットでセナをオーバーテイクするなどの活躍を見せた(最終的には3位表彰台)。しかし既に同僚のシューマッハがチーム内で確固たる地位を確立しており、ブランドルはいかにも「職人」で「玄人好み」な雰囲気をかもしだしながらも、地味な印象が拭えなかった。結局翌年にリカルド・パトレーゼがチームに移籍してくることが決定すると、ブランドルはベネトンを離れることとなった。

'93にはリジェに移籍、カスタマー仕様ながら当時最強のウィリアムズと同じルノーエンジン(RS5)を獲得し、中堅チーム最速マシンであった。サンマリノGPでの3位入賞やフランスGPでの予選3位など、'91にもブラバムでチームメイトだった同胞マーク・ブランデル(またも実況泣かせ再結成)とともに活躍したが、やはり翌年のシートはなかなか決まらなった。

'94のマクラーレンのシートは、開幕直前の2月末で決定したものであった。しかもこの年はプジョー参戦初年度ということもあり、特にオーバーヒートによる故障が多く、多くの表彰台やポイント獲得のチャンスを失った。特に真夏の地元イギリスGPではフォーメーションラップ中にエンジンがミスファイア、スタートと同時にエンジンが煙と炎を上げてブロー、まさにロケットスタートとなり0周リタイアするといった有様であった。

'95にはリジェに復帰したが、既にオリビエ・パニスのチームメイトは、エンジン供給先の無限との関係で鈴木亜久里が先にシートを得ていたものを、ジャガーのスポーツカーレース時代から縁のあるトム・ウォーキンショーに強引にねじ込んでもらいシェアするというものであった。

この間にもそこそこの活躍を見せ安定した速さを発揮するものの、何れも所属したチームが中堅グループであったこともあって継続的な活躍はできず'96にジョーダンに移籍。開幕戦のオーストラリアで大クラッシュするなど、また不安定な挙動のマシンに終始悩まされ、そしてこの年を最後に、長きに渡ったF1でのキャリアに終止符を打った(ウィキペディアより使わせていただきました)。

F1引退後はルマン24時間レースに参戦('97〜'99、'01)し、現在は英BBCでF1解説者として活躍している。
またデビット・クルサードや、若手ドライバーのマネージャー業を行うなど、若手育成に務めていたが、
現在は息子の育成に専念する為、マネージャー業からは手を引いている。




・トピックはご自由にどうぞわーい(嬉しい顔)

コミュニティにつぶやきを投稿

loading

参加メンバー 25人

もっと見る

開設日
2007年7月29日

3527日間運営

カテゴリ
車、バイク
関連ワード
関連ワードを登録しよう

編集から関連ワードを登録すると、コミュニティがmixiワードに表示されるようになります!