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合気道コミュニティー

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詳細 2017年1月25日 11:41更新

手(チョキ)合気道は気を合わせる道です。
相争わず、共に生きる道、気の道です。

仙台障がい者合氣道稽古会
http://www8.ocn.ne.jp/~masafeel/
指でOK


古今武道がスポーツ化してきているなかで唯一武道としての性格を持ち合わせている合気道。もちろん合気柔術よりはってんしたもではありますが、広く一般化した今でもなお武術としての側面は残っております。

試合のない競技であり。自らを高める武道でもあります。心技一体。

合気道は時代と共に性格を変え身を鍛える、また心をきたえる技のみが残ることとなりました。

そんな合気道を多くの皆様に知っていただければと思います。

和歌山県田辺市の富裕な農家に生まれた植芝盛平は少年時代より武術に関心を向け、起倒流柔術(きとうりゅうじゅうじゅつ)・後藤派柳生心眼流(やぎゅうしんがんりゅうじゅうじゅつ)を修めた後、1915年、大東流合気柔術総本部長・武田惣角に入門、1922年、教授代理を許された。1917年、宗教団体大本に入信、京都の綾部や亀岡で独自の修行を続け、甥の井上鑑昭(親英体道の創始者)と共に同地で「合気武道」の指導を行う。1927年、竹下勇海軍大将らの支援を得て上京、1931年、皇武館道場設立、1940年、財団法人皇武会(後の財団法人合気会)設立、1948年、「合気道」の名称を用いる(盛平は初代合気道「道主」となり、没後は特に「開祖」と呼ばれる)。戦後、のちに二代目道主となる盛平三男・植芝吉祥丸や弟子達によって一般に普及し、知られるようになる(盛平は当初普及に消極的であったが、弟子達の熱意に動かされ、ほどなく積極的に協力するようになる)。

盛平が創始した(財)合気会は二代目道主・植芝吉祥丸を経て、現在は吉祥丸の次男植芝守央が代表である三代目道主を務める。今日国内100万人とも言われる合気道人口の大半を占めるのが合気会の会員であり、合気道界の多数派・主流派を形成している。一方盛平の門下及び合気会から独立した団体・会派が複数存在する(→“ 主な会派 ”を参照)。また主な会派に所属せず独自の活動を行う独立会派も各地に存在する。

1950年代から盛平の弟子たちが積極的に海外普及に努めた結果、欧州・北南米・東南アジアなど国際的に広まり、合気会だけで現在約80ヶ国に支部道場を開設している。フランスなど、合気道人口が日本より多い国もある。1976年には合気会傘下の国際合気道連盟(IAF)が結成され、 IAFは1984年国際競技団体総連合(GAISF)の正式会員となり、1989年以降ワールドゲームズ大会に毎回参加している。


[編集] 技術・稽古の形態
技は体術・武器術(剣・杖)を含み、対多人数の場合も想定した総合武術である(ただし、現在は体術のみを指導する師範が大半で、武器術も指導する師範は少ない)。戦時中は旧陸軍中野学校や旧海軍大学校などでも盛平が指導していた。戦後も、自衛隊徒手格闘や警察の逮捕術の技術に大きな影響を及ぼし(多くの女性警察官が、警察学校在学中に修得する武道として合気道を選ぶという 対して男性警察官は多くが柔道・空手である)、機動隊や警察特殊部隊などでも研修が行われている。

技の特徴は、まず「入身」「転換」と呼ばれる独特の体捌きによって攻撃線をかわすと同時に、相手の死角に入って自分有利の位置と体勢を確保し、これにより最小の力で相手の重心・体勢を容易に崩し、投げ技や固め技を用いて無駄な力を使わず効率良く相手を制する形に見出される。このような合気道独特の力の使い方や感覚を「呼吸力」「合気」などと表現し、これを会得することにより、“合理的な”体の運用によって“相手の力と争わず”に相手の攻撃を無力化し、年齢や性別・体格体力に関係なく「小よく大を制す」ことが可能になるとされている。一方通常考えられるような腕力や筋力の使用は、逆に体に無用の緊張を生じさせてスムーズな呼吸力や合気の発揮を妨げ、相手の抵抗を招くとして戒められる。このため「脱力」ということが特に推奨される。

稽古は一般的に、二人一組の約束組手形式(何の技を使うか合意の元に行う)の形稽古中心であり、「取り(捕り)」(技を掛ける側)と「受け」(技を受ける側)の役を相互に交代しながら繰り返し行う。基本的に相手の手首・肘・肩関節を制する幾つかの形から始まり、稽古を重ねる中で多様な応用技・変化技(投げ技・固め技など)を学んで行く。立ち技と正座で行う座り技が中心で、寝技は殆ど行われない。打撃(「当身」)は牽制程度に用いることが多く、打撃中心の稽古は行われないが、合気道の体捌きは常に敵の急所にいつでも打撃を加えこれを制する可能性を持つ(あるいは、関節技の動きの中に当身の理合が隠されている)と言われている(「実戦では当身が七分で技(投げ)三分」という植芝盛平・塩田剛三の言葉も残されている)。蹴り技・足を使った固め技などは基本的には行わない。

柔道のような乱取り稽古は通常は行われない。ただし柔道とも関係の強い日本合気道協会のみ早くから乱取り稽古を取り入れている。主流会派である合気会では一部の例外を除き試合を行わないが、近年では日本合気道協会の他にも合気道S.A.など試合を行う会派も増えつつある。またほとんどの会派が、段級位制をとっている。


[編集] 理念・精神性
他武道に比べ精神性が重視され、精神的な境地が技に現れるとされている。これは創始者の植芝盛平が戦前大本の出口王仁三郎に師事し多大な影響を受けたこと、また青年時代故郷の和歌山で南方熊楠に出会い神社合祀反対運動に取り組んだことや、戦時中茨城県岩間町(現・笠間市)に合氣神社を創建するなど神道への親しみが深く、『古事記』や神道用語を用いて合気道の技や理念を語るなど、精神世界への志向性が強かった盛平自身の性格の反映といえる(盛平は自らの武道を「禊ぎ」「神楽舞」などと表現している)。

武術をベースにしながらも、理念的には力による争いや勝ち負けを否定し、合気道の技を通して敵との対立を解消し、自然宇宙との「和合」「万有愛護」を実現するような境地に至ることを理想としている(主流会派である合気会が試合に否定的であるのもこの理念による)。

また盛平の弟子の中には藤平光一を初めとして、ヨーガを日本に持ち込んだ中村天風の影響を受けた合気道師範も多く、合気道の精神性重視という気風を次代に継承している。


[編集] 健康法としての合気道
盛平は折有るごとに、「合気道は適度な運動で血行を改善し骨格を矯正し体内の“気”の流れを整えることで身体の“穢れ”をはらう“禊ぎ”である」…等と独自の宗教観を交えつつ、合気道の健康効果について述べている。

合気会系の道場では稽古の始まりに盛平の考案による「合気体操」と呼ばれる鍛錬法を30分ほど掛けて行うのが慣例となっている道場もある。身体各部の柔軟など稽古前の準備運動としての性格もあるが、「鳥船」「振魂」など神道の禊の行法の一部も取り入れられており、これ単独で“気”の鍛錬・“呼吸力”の鍛錬に効果があるとされる。また(財)合気会の理事の一人であった西勝造の「西式健康法」も取り入れられている。


[編集] 「合気道」の名称について
今日「合気道」と言えば、一般的には植芝盛平の興した合気道を指すが、これとは別系統の「合気道」も存在する。

「合気道」は「植芝盛平の興した合気道」を意味する固有名詞である他に、“合気系武道(・武術)”全般を漠然と指し示す普通名詞としての一面もある。


[編集] 「合気道」の初出と命名

[編集] 大日本武徳会合気道
昭和17年(1942年)、武道界を統制する政府の外郭団体・大日本武徳会に設置された「合気道部」と、“総合武術”(体術・剣術などを総合的に扱う武術)として制定された「大日本武徳会合気道」がこの名称の初出とされる。

当時盛平は大日本武徳会から総合武術部門設立についての協力要請を受けたが、これに対し皇武館道場の「総務」であった平井稔を推薦し、平井は大日本武徳会の幹事に就任、合気道部の運営に当たった。 戦後の昭和20年(1945年)、平井は大日本武徳会合気道を受け継ぐとして「光輪洞合気道」を興すが、植芝流とは別系統としている。


[編集] 植芝「合気道」の出発
盛平が「合気道」の名称を用い出したのは昭和23年(1948年)、(財)合気会発足からである(それ以前は「合気武道」「大日本旭流柔術」等と称していた)。「合気道」を名乗った経緯について、盛平は生前マスコミのインタビューの中で、当時の文部省にいた人物に勧められたからであったと語っている。( 参考;「植芝盛平と合気道〈1〉」ISBN 978-4900586819)


[編集] 植芝系以外の合気道
平井稔の光輪洞合気道
大東流などの一部で通称的に用いられているもの。(例;「合気道教室(大東流)」、「合気道・居合道」、「○○女性合気道教室」「□□合気道倶楽部」)
武田流合気之術を受け継ぐとする、武田流中村派合気道、日本伝無限流合気道
韓国で興されたハプキドー(漢字表記は「合気道」)

[編集] 「護身術」としての有効性に関する議論
通常の筋力や腕力に頼らず相手を制する武道であるということから、「非力な女性の護身術としても有効」と喧伝されてきたが、現在その有効性については議論が分かれている。[要出典]


批判的な意見としては、

実際に筋力・腕力に頼らず相手を制する技術を習得するのは容易ではなく多くの時間を要すため、社会が護身術に期待する速習速成という要求に応えられない[要出典]
日常の稽古形式が形稽古に終始している道場が大多数であり、想定外の攻撃への対応力が養えるか疑問[要出典]
またその形稽古の技法が「片手取り」(攻撃者が相手の手首を掴みに来る)「正面打ち」(攻撃者が手刀を振りかぶって打って来る)など、現代の現実の格闘場面では考え難い攻撃法に対処する形になっている(これは合気道の元になった古流柔術が帯刀を前提とした時代のものであり、「抜刀しようと刀の柄に掛けた手を押さえる→片手取り」「刀で斬り掛かって来るのを素手で捌く→正面打ち」などの場面を想定した稽古法であったことに由来すると言われている)
などがあり、合気道をそのまま一般的な護身術として考えることに疑義を呈する。[要出典]


一方、日本合気道協会(富木流)では主に対短刀を想定した乱取り稽古を行っており、刃物に対する護身術としての合気道となっている。乱取り稽古を行わない会派では、養神館合気道や岩間神信合氣修練会が積極的に護身術としての合気道を指導している。これ以外にも独自に護身術としての合気道の可能性を研究する合気道家や独立会派も複数存在している。


[編集] 技と原理

[編集] 基本的な技
入り身投げ:相手の背後に入身して後ろ襟を取り相手を後方へ引き崩し、腕を相手の首に掛け、相手をそのまま崩した後方へ投げ倒す技。

回転投げ:相手の腕を持ち、大きく上から前、前から下に回し、その勢いで相手の頭を下げさせる。頭が下がったときに、反対の掌で頭部を押さえ、回した腕をそのまま下、後ろ、上と動かし、腕を垂直に立て、肩関節を極めて、前方に崩し投げる。相手の腕が大きく回ることから「回転」の名が付いたと言われる。

四方投げ:相手の腕をもって、相手の腕の外側から、相手の腕をくぐる(くぐると言っても自分の姿勢が崩れるようなくぐり方はしない)。相手の腕は外側にねじれることになるが、相手の腕を相手の後方に持って行くようにすると、肘が曲がり、相手は力が入らなくなる。そのまま、斜め後方に倒す。この時投げる方向や、相手の腕の角度によっては、筋肉や関節を痛めるため、基本的な技の中では一番注意が必要と言える。

小手返し:相手の手首を取り反対の手を相手の手の甲に添え手首を返しつつ肩関節を外転外旋、肘関節を屈曲、前腕を回外、手関節を屈曲させ斜め前方に投げた後相手を腹這いにさせ抑える。

一教:相手の腕を取り肘関節を可動限界まで伸展させ相手を腹這いにさせ抑える。

二教:相手の手首を取り小手をひねり手関節を屈曲、前腕を回内、肘関節を屈曲、肩関節を外転させひざまづかせた後腹這いにさせ抑える。

三教:相手の手首を取り体を回転させながらひねり上げて前腕を回内、肘関節を90°屈曲、肩関節を外転内旋させ爪先立ちにさせた後腹這いにさせ抑える。 (その他の主な技:四教、五教、六教(肘締め)、天地投げ、腰投げ、十字絡み、隅落し、呼吸投げ、合気投げ、合気落し 等)

(以上の技は最大公約数的なものであり、流派や道場によって細部は異なる。同じ技が別の名で呼ばれること、別の技が同じ名で呼ばれることも少なくない。)


[編集] 技の呼称
合気道の技は相手の攻撃に対して投げ技・もしくは固め技にて応じるのが基本である。技の呼称は「技開始時の受け手・捕り手の位置的関係」または「技開始時の受け手の攻撃形態」に「上記の固有技名」を組み合わせる。

例えば、受け手が右手で捕り手の右手首を掴んだ状態を「片手交差取り」、受け手が手刀を捕り手前額面の真上から振り下ろす攻撃形態を「正面打ち」といい、それぞれの状態から上記いずれの技も派生し得る。

例:

正面打ち+小手返し
片手交差取り+呼吸投げ
など


[編集] 合気と呼吸力
「合気」と「呼吸力」は合気道技法の原理であると同時に、合気道理念の中心とされる概念。

「合気」はもともと日本古来の武術用語であり、狭義では、相手の力に力で対抗せず、相手の“気”(攻撃の意志、タイミング、力のベクトルなどを含む)に自らの「“気”を合わせ」相手の攻撃を無力化させるような技法群やその原理を指す。 合気道においては上記の意味合いも踏まえ、そこから更に推し進めて「他者と争わず戦いを解消して平和な世界を創出し、自然や宇宙の法則(=“気”)に和合することによって理想の境地を実現する」といった精神理念を表すものとされる。(盛平は「合氣とは愛なり」と語っている。)

「呼吸力」は盛平が自らの武道を確立する過程で生み出した造語であり、従前の「合気」を、盛平独自の主観を通して表現し直したものである。 合気道における「合気」が、主に精神性を表す言葉として用いられるのに対し、「呼吸力」は主に「技法の源になる力」という意味合いで用いられる。 この「呼吸力」が具体的に何の力を指しているかについては、盛平が古事記や神道を引き合いに神秘的・抽象的な表現で語ったため後代様々な解釈を生み、「呼吸(筋)の力である」「“気”の力である」「全身の筋肉を統一した力」など、意見は多岐に分かれる。また「実際の呼吸のように自然で無意識的な力の使い方」といった感覚の含意も指摘される。

合気・呼吸力について、小柄な老人が屈強な大男を幾人も手玉にとり簡単に投げ飛ばしたり押さえ込んでしまう不思議な技、というイメージが一般的に流布し、しばしば怪しげなものとして疑われることも多い。 合気・呼吸力を具体的な技法原理として解明するために、脱力・体重利用・重心移動・腹腰部深層筋・梃子の原理・錯覚や反射の利用・心理操作など様々な側面から説明が試みられているが、科学的実証的な研究が積極的に進められているとは言いがたい現状である。

一方、実際の合気道技法には上記のように心身の構造・物理法則に基づく多様な要素が含まれており、合気道熟達者に見られる、状況に応じて様々な合気道技法のうち最も効果的なものを遅滞なく選択し自在に発揮できる能力や感覚の総体が、合気・呼吸力と称されるものの実相であるという見解もあり、合気・呼吸力を単純に一つの原理として定義付けを図る論法自体に疑問も出ている。


[編集] 合気道の武器術
合気道の武器術については、師範により下のように見解が分かれている。

合気道の体術に剣術や杖術の理合が含まれている。(あえて剣術や杖術を修練する必要がない)
体術のみでは不十分で剣術や杖術などの武器術も修練する必要がある。(「合気剣」や「合気杖」を修練する師範と、他流の剣術や杖術の形を合気道の理合で解釈して修練する師範に分かれる)
植芝盛平は岩間にて斉藤守弘と武器術の研究をし、斉藤が盛平の武器技を整理した合気剣と合気杖については、これを合気道の武器術と位置付ける師範と、合気剣と合気杖は斉藤の解釈が加わっているため正当性を認めない師範とに分かれる。


[編集] 他武道・他武術との関係

[編集] 大東流合気柔術との相違点
技法や稽古法等は大東流合気柔術をほぼ継承している。大東流合気柔術、合気道ともに円の動きで技を掛けるが、大東流に比べ、合気道はより大きな円の動きで技を掛ける。これは、盛平の修行によって至った結論と思われる。 大東流は直線的、合気道は円の動きと分類する向きもあるが、稽古の段階により、あるいは技の種類によって合気道でも直線的でなければならない技もあり、大東流でも円転しなければ使えない技もあるので、はっきりどちらがどうであるとは言い切れない。

技術的には、合気道を大東流合気柔術の一会派とみなして、大東流合気柔術植芝伝と呼ぶ向きもある。事実、大東流合気柔術には多彩な会派があり、合気道がその中の一会派だという見解も成り立ちうる。しかし、大東流合気柔術と合気道で最も鮮明な相違は、武道の目的と意味をどう位置づけるかという思想性だと考えられる。

盛平伝承の合気道は、剣杖など武器による武術を豊富に伝えていながら、古来の武術と一線を画して、万有愛護と宇宙の生成に寄与するためという意識が強い。これは、大本の合気武道時代からのものと考えられ、親英体道にも同様の思想性が見られる。大東流では多く伝わる逆関節技や、足による踏み技・固め技など、荒々しい技の殆どが合気道で省かれているのも、この思想性によると考えられる。


[編集] 柔道との交流
講道館柔道の創始者嘉納治五郎は植芝盛平の道場を訪れた事があり、その技に魅了された嘉納は望月稔、村重有利、杉野嘉男ら講道館の高段者数名に合気道の修行をさせており、合気道と講道館柔道との間で比較的盛んに交流が行われていた。

盛平の有力な弟子であった塩田剛三(養神館)、富木謙治(日本合気道協会)、望月稔(養正館)、西尾昭二、清水健二(天道館)も、植芝に入門する前は柔道の有段者であった。特に、富木や望月は植芝の高弟となってからも柔道家としての活動もおこなっており、その理念には合気道・柔道双方の影響がみられる。

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開設日
2007年7月29日

3501日間運営

カテゴリ
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