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何応欽

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詳細 2012年2月9日 21:08更新

犬蒋介石の腹心(ナンバー2)
冷や汗重要な交渉の場に現れては日本側の要求をあっさりと呑む不気味な人物

【年表】

1932年01月18日 日本人僧侶襲撃事件(上海)
1932年01月28日 淞滬抗戦(第一次上海事変)
1932年05月05日 上海停戦協定
1933年05月22日
・軍に北平撤退を命令
1933年05月31日 塘沽協定
1933年10月05日 第5次掃共戦(始)
1933年11月09日 北平会議
・岡村寧次少将と会談。駐平政務委員会による非武装地帯の接収について合意
1934年01月    ハプロ(Handelsgesellschaft fur industrielle Produkte)設立
1934年08月    「中国稀少資源及びドイツ農業・工業製品交換条約」締結
1934年10月15日 紅軍、瑞金を脱出(長征開始)
1934年11月10日 国府軍、瑞金占領
1935年06月10日 梅津・何応欽協定
1935年08月01日 八・一宣言「為抗日救国告全体同胞書」
1935年10月07日 廣田弘毅−蒋作賓会談、日中提携3原則
           (排日停止・満州国承認・赤化防止)
1935年11月04日 幣制改革(銀本位制廃止)
1935年11月25日 冀東防共自治政府
1935年12月09日 北平で「抗日救国」の学生デモ
1935年12月18日 冀察政務委員会
1936年01月    「第一次北支処理要綱」(日)
1936年05月    支那駐屯軍が兵力を3 倍に増強(日)
1936年07月10日 萱生(かやう)事件
1936年08月24日 成都事件
1936年09月19日 漢口事件
1936年09月23日 出雲事件
1937年01月23日 広田弘毅内閣総辞職(日)
1937年02月02日 林銑十郎内閣成立(日)
1937年02月29日 軍需景気で東京株式市場の取引高、開設以来の最高記録(日)
1937年06月04日 第一次近衛内閣成立(日)
1937年07月07日 盧溝橋事件
1937年07月11日 5個師団の華北派兵を決定(日)
1937年07月28日 支那派遣駐屯軍が華北地域で総攻撃を開始
1937年08月13日 張治中の第9集団軍、上海日本租界攻撃
1937年08月15日 南京政府断固膺懲を声明(日)
1937年08月21日 中ソ不可侵条約締結
1937年12月12日 パナイ号事件・レディバード号事件
1938年02月18日 重慶、初空襲
1938年05月05日 国家総動員法施行(日)
1938年05月19日 日本軍、徐州を占領
1938年10月17日 蒋介石、漢口から撤退
1938年10月21日 日本軍、広東省占領
1938年10月26日 日本軍、漢口占領
1938年11月03日 近衛首相、「東亜新秩序建設」の方針を声明(日)
1938年12月04日 重慶爆撃(始)
1938年12月16日 興亜院設置(日)
1939年08月23日 独ソ不可侵条約
1940年03月07日 アメリカが蒋介石政権に2000万ドルの借款を供与
1940年09月23日 北部仏印進駐(日)
1940年09月27日 日独伊三国軍事同盟調印
1941年03月11日 レンドリース法(米)
1941年04月13日 日ソ中立条約
1941年07月25日 対日資産凍結(米)
1941年07月28日 南部仏印進駐(日)
1941年08月01日 対日石油輸出禁止(米)
1941年09月06日 御前会議、対米開戦を決意(「帝国国策遂行要領」決定)
1941年11月26日 ハル・ノート
1942年05月05日 第56師団坂口支隊(歩兵団長坂口静夫少将)、「拉孟」を占領(日)
1942年05月10日 第56師団、「騰越」を占領(日)
1944年04月17日 京漢大陸打通作戦開始(日)
1944年04月17日 「日米諒解案」            
1944年05月25日 日本軍、「洛陽」占領
1944年05月27日 日本軍、「長沙」へ進撃開始
1944年06月02日 拉孟・騰越の戦い 雲南遠征軍が「拉孟」に侵攻
1944年06月19日 マリアナ沖海戦
1944年06月26日 日本軍、「衡陽」攻撃開始
1944年06月27日 雲南遠征軍が「騰越」に侵攻
1944年07月07日 サイパン陥落
1944年11月10日 日本軍、「桂州」「柳州」占領


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

何応欽(かおうきん、1890年4月2日 - 1987年9月21日)は中華民国の軍人。字は敬之。

貴州省興義に生まれる。

貴州陸軍小学・武昌陸軍中学を卒業した後、1908年、日本に留学し陸軍士官学校に22期生として入学。同期に牟田口廉也、鈴木貞一、相沢三郎がいる。ちなみに蒋介石は前年に陸軍士官学校に21期生として入学している。1909年、中国同盟会に加盟。1916年に帰国し、貴州第一師歩兵第四団団長・貴州陸軍混成旅旅長などを務めた。

1924年、孫文の広東軍政府に参加。軍校教練部主任・大本営軍事参謀。国民革命軍第一軍軍長に任命される。1926年、北伐参加。国民革命軍東路総指揮・参謀長など歴任。「蒋介石の片腕」と評される存在になる。1927年に南京国民政府が成立すると、第一路軍総指揮、翌年には総司令部参謀長となった。1933年に北平に赴任し、国民党軍事委員会北平分会会長に任ぜられ塘沽協定、1935年には梅津・何応欽協定を結ぶ。日中戦争時は、第四戦区司令長官・軍政部長・参謀総長等を務めた。

1945年、支那派遣軍総司令官岡村寧次が降伏文書に調印し、中国代表の何応欽に呈示。その後は国防部長・行政院院長を務めるが、1949年、国共内戦に敗れ蒋介石らとともに台湾へ脱出。渡台後は、総統府戦略顧問委員会主任委員・台湾紅十字総会会長・中日文経協会会長等を歴任した。

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開設日
2007年7月25日

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カテゴリ
学問、研究
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