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初代内閣総理大臣 伊藤博文

初代内閣総理大臣 伊藤博文

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伊藤 博文(いとう ひろぶみ、天保12年9月2日(1841年10月16日) - 明治42年(1909年)10月26日)は日本の政治家。長州藩(山口県)出身。明治維新の立役者の一人。維新後は初代兵庫県知事、大蔵大輔や内務卿・参議などの明治政府の要職に就き明治18年12月、これまでの公家中心の太政官制から内閣制を取り入れ初代の内閣総理大臣に就任する。以後、第5代、第7代、第10代首相に就任。他に初代宮内大臣、初代貴族院議長、初代枢密院議長、初代韓国統監。公爵。元老。

・自ら創設した長官職に就く為か「初代」が多いのは興味深い。
・最年少総理就任記録は戦前戦後もいまだに破られていない。
・明治帝が最も信頼していたのは他ならぬ伊藤公である。
http://www.kvision.ne.jp/~momorx/

※写真は第1次内閣発足時の伊藤博文

日本最初の内閣

第1代伊藤内閣−明治18年12月22日成立

内閣総理大臣   伊藤博文
外務大臣   井上 馨
  明20.9.17− 伊藤博文(臨兼)
  明21.2.1− 大隈重信
内務大臣   山縣有朋
大蔵大臣   松方正義
陸軍大臣   大山 巖
海軍大臣   西郷從道
司法大臣   山田顯義
文部大臣   森 有禮
農商務大臣   谷 干城
  明20.7.26− 土方久元
  明20.9.17− 酖沈粁
逓信大臣   榎本武揚
内閣書記官長   田中光顯(兼)
法制局長官 明18.12.23− 山尾庸三(兼)
  明21.2.7− 井上 毅


備考
(兼)=兼任、(臨兼)=臨時兼務を示す。


伊藤総理の写真と経歴
http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/souri/01.html
歴代の伊藤内閣
http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/kakuryo/01.html
http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/kakuryo/05.html
http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/kakuryo/07.html
http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/kakuryo/10.html




【ご挨拶】

前管理人の愛国娘さんから「伊藤博文」のコミュの管理人交代の依頼があり、承諾いたしました。 
愛国娘さんもその前の管理人から交代されていたそうで、より詳しい人への政権交代を望んでおられたとのこと。 魅力的な若い娘さんから硬派の中年になり、皆様方には残念至極のこととは存じますが、末永くよろしくお願い申し上げます。 

私はすでに4つのコミュを立ち上げていて、どれだけできるかわかりませんが、これは国を思う勉強の成果発表の場としようと思っています。 皆様どうぞどんどん書き込みをしていただいて、この愛国のコミュを盛上げていただくようにお願いします。 

ここの「伊藤博文」コミュに至った経緯ですが、

大阪のある場所に集った者が、毎月持ち回りで内外の偉人についての、素人的ですが研究発表をしている会合「先人に学ぶ人間学塾」というのがあります。 1年前には私は「東郷平八郎」について発表しました。 
左巻きもいる会合で私はかなりアマノジャクで、左巻きの嫌いな軍人や明治の政治家を選びました。 東郷さんを学んでみてその後の考え方に非常に参考になりました。 そして今年の10月には「伊藤博文」について語る予定なのです。
そのために少しずつ学んでいくごとに、どこかに書いていこうと「伊藤博文」のコミュを作るつもりでした。 しかし調べたらすでに愛国娘さんが作っておられたのでした。 


伊藤博文公については賛否両論があり、また幕末・明治に活躍した偉人のなかでは大きな業績を上げているにもかかわらず、ほとんど注目されることがありません。
しかしどのような国でも初代首相や初代大統領は後世まで語り継がれる存在です。 しかし伊藤公について書かれた自伝や評論は少なく、批判的なものが左巻きや韓国北朝鮮側から出ているのみです。 
伊藤公がそのようなおとしめられた存在なっていることに日本国民の一人として我慢できません。 

伊藤博文を知らずして明治日本とそれ以降の大日本帝国は理解できないでしょう。 伊藤公については台湾・朝鮮・植民地統治問題から大東亜戦争まで行きますので幅は広くなります。 
彼は今も議論される歴史政治問題の元に関係した人物として、今の時代に再びよみがえらせ、検討すべき政治家として、このコミュの意義をとらえています。
私人としてのゴシップなどはあるでしょうが、明治の基礎を築いた偉大な先人の一人として、彼の功績を発掘して顕彰していきたいのです。 また「戦後の宿題」を伊藤博文を通して解明できればと、思っています。  



【管理人の私としては、別の活動として「いのちの風」通信の発信などもしています。 これは生老病死のいのち、野宿者問題、そして愛国的な問題意識で毎週書いています
精神世界系民族派・行動派として動き、かつ考え、実践的に日本再生をめざしています】



【別に立ち上げているコミュニティ】


「いのちの風」
http://mixi.jp/view_community.pl?id=200800

「いのちと出会う会」
http://mixi.jp/view_community.pl?id=196599

「野宿者・炊き出し・釜が崎・清掃」
http://mixi.jp/view_community.pl?id=206314

「神州正氣の會 応援団」
http://mixi.jp/view_community.pl?id=224245



【お勧めコミュニティ】

「ラジオ深夜便(こころの時代)」
http://mixi.jp/view_community.pl?id=221651

「應典院ファン倶楽部」
http://mixi.jp/view_community.pl?id=148734

「キリストの幕屋」 
http://mixi.jp/view_community.pl?id=191520




          【リンクのホームページ】


【1】 大学時代の友人の原裕君が私の「いのちの風」通信をホームページ風にして、最近のものを載せてくれましたのでご覧下さい。 

ここに大阪駅前の炊き出しと清掃のスタッフのうちの5人と野宿のオッチャンたちとの集合写真と掃除の様子が最近載せてもらいました。 ご覧下さい。 

ときどき写真作動させてもエラーが出て写真の連写20枚ほどが出ないときがありますが、ほかの1,2、などをクリックして画面変更している間に修復されます。

前列の右端の白いレインコートを着ているのが私です。 前列左の赤い服を着ているのがイギリスでチベット系の仏教教団に入って、今大阪で伝道や瞑想などの修行としている女性です。その隣が寝袋配りの相棒です。 
掃除している姿の白い服を着ている中年女性は釜が崎のカレーの炊き出しの常連スタッフの方です。 また写真を写してくれている人は我々のスタッフの一人で梅田で会社を経営されている女性社長です。 
このお2人がいつも掃除が終わった後に野宿のオッチャンたちに熱い湯を運んできてくれてコーヒーを作ったり、お菓子などを配って労をねぎらい駅前喫茶店風の雰囲気を作ってくれています

また「4、最近の活動」には踊り子大圓が、踊りの出場を前にして踊っとる写真の連写が載っています。 目がつぶれないように。 

彼も今日mixi仲間になりました。 どうぞよろしく。
  
           「いのちの風」通信 
http://www.geocities.jp/ishiguro_yoshihiko/index.html



【2】 通信仲間の紫陽花さんがご自分の「縁の花」のホームページに私の通信の古いものを載せていただいています。 

全部は載っていませんが、パソコンになってからのもの95%は載っています。 また新しい通信がその都度少し経ってから掲載されます。 お時間がありましたらご覧ください。 

なお内容が見られない古い? のものがありますが、その分は私に直接ご請求下さい。 送信いたします。

「縁の花」は本物情報をもつ方々の紹介や、精神世界、歴史や科学などの大変な量の情報配信を長い間されています。 ぜひ見る価値がありますのでご紹介いたします。 
     
        大圓情報 「縁の花」支縁サイト
http://www.geocities.jp/ennohana/en20isiguroyosihiko.htm
 



【3】 昨年東京の友人を通じてご縁をいただいた方の霊園会社のホームページに、私の体験談を載せていただいています。 
  
   美原ロイヤル・ニュース (平成16年冬季号 VOL.8の3ページ目) 「【シリーズ】別離の哀しみを乗り越えて 人と人との魂の絆に気づいて 野宿者救済運動を始める」 釜が崎の炊き出しの写真とともに私の体験と考えが掲載されています。   http://www.noseh.com/




(上記【3】の内容を短くまとめて、あるロータリークラブの月報に載せてもらったのが以下です。
 
『私は大阪・船場で父の代からの衣料卸業を営んでいました。 しかし平成元年に五歳の次男を、9年に妻を49歳でともにガンで亡くすという転機が次々訪れました。 その後会社を閉め、商店街の事務局の仕事に関わるようになってから、数々の社会活動が始まりました。

2人の死に直面して、「2人の人生は何だったのか」「2人の苦しみは何か意味があったのか」「次の世で2人は元気に暮らしているのか」など問いがかけめぐりました。
 
2人の早すぎる死、そして私たちの人生の意味を求めて学びつづけました。 私の体験が社会の人々の役に立つようにと、天王寺区下寺町の應典院で「いのちと出会う会」という「生と死を考える会」も立ち上げました。

また生老病死のいのちや野宿者支援、そして愛国の思いを綴った「いのちの風」通信も毎週知人200人に送信して日本再生をめざしています。 ここに到るまでには亡き2人の導きがあった、2人は死んではいなくて、今も私の中で生きて働いてくれていると感謝しています。  
平成11年春のある夜、商店街の路上でオヤジ狩りに会いました。 殺されるかと思いましたが、その後の左肩の打撲痛の方がひどく半年間苦しみつづけました。 ある日その痛みがふと取れていると感じた時に、どっと涙があふれました。 

痛みのないのが「当たり前」のように暮らしてきた。 その前の痛みのない日々がどれだけ「恵み」に満ちたものだったことか。 妻子がそばにいることが、この腕が動くこと、毎日食事ができること、仕事があること、当然のことと思っていたことが「当たり前」ではなく、「天から恵み」そのものであると知ったのです。 それらがなくなった時どれだけつらい思いになるか。 

妻子を亡くし、腕の痛みを体験してから学んだものは、人間の本質とは霊であり、人間だけでなく生きとし生けるものすべてに魂があり、お互いに結び付けられている。 神と人は一体であり、宇宙のすべてとも心の底でつながっている。 この考え方は日本の古来からの伝承にもあり、日本人の魂の復興にもつながる考え方と思いました。 そしてこれこそ生老病死に苦しむ人々の心が救われる福音(うれしい知らせ)だと考えたのです。

その学んだ福音とは。
「人は死んでも終わりではない。 人はこの人生でのすべての出来事を起こるべくして起こるように、前世で設計して生まれてきた。 だから偶然というものは人生にはない。 人生はすべて思い通りでないからこそ価値がある。 どのような苦しみにも意味があり、無意味な人生はない。 そして多くの試練を経験することにより、人は心の修行をして魂の向上をはかり、最後はもといた次の世界へ旅立つ。 人は自分で父母を選んで生まれ、生まれる日も死ぬ日も選んでくる。 死は不運でもなく突然来るものでもなく、自分の選んだ日に予定通りにやって来る」。 

今、大阪で1年間に200人のおもに野宿者が路上で亡くなっています。 それを聞いた時、妻子の姿と重なりすぐに動きました。 5年ほど前から野宿者支援にかかわっています。 釜が崎に出入りして炊き出しを手伝い、今は毎週月曜夜9時から大阪駅前南口でおにぎりや衣類を野宿者に配っています。 真冬にはカンパで集まった金で寝袋を買い、大阪市内の冷たい路上で寝ている人々へ寝袋を届けています。 4年間で約4000個配ることができました。 

当たり前のように恵まれて暮らさせてもらっている陰には恵まれない人々がいます。 闘病していた、かっての私たち家族もそうでした。 妻が亡くなる5日前の日記に震える手で「元気になったら、お世話になった方々に恩返しをしていくんだ!」とありました。 私の活動は2人が生きている間にいただいていた、この恵みへの恩返しを本人だけでなく他の人々へも、妻子に代わって行なっていくものなのです』 

開設日
2005年07月17日
(運営期間4089日)
カテゴリ
学問、研究
メンバー数
305人
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