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戦国時代&戦国武将

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詳細 2016年12月1日 17:45更新

【織田信長】天文三年(1534)〜天正十年(1582)
織田信長は濃尾平野を根拠地とし、地の利に恵まれていた。永六三年(1560)今川義元を桶狭間に討ち、元亀元年(1570)には浅井・朝倉連合郡を姉川に破った。武田信玄の死後、天正三年(1575)に長篠で武田勝頼に大打撃を与え、天正十年武田氏を滅ぼした。その直後、本能寺で倒れた。

【豊臣秀吉】天文六年(1537)〜慶長三年(1598)
安土桃山時代の武将。尾張(愛知東部)中村に生まれる。出生については諸説あるが、農民・弥右衛門の子とする。戦国時代を語る上では、信長・家康と並んで外せないキーパーソンの一人。
1554年、織田信長に仕え、木下藤吉郎秀吉と名乗り、優れた才能を発揮し、斎藤氏と戦った際は墨俣に一夜にして城を築いたとされた。それ以後、織田信長に重用される。その後も数々の戦いで功を挙げ、織田家の重臣として出世を果す。
毛利氏征伐の総大将として出兵中、本能寺の変を知り10日で畿内に戻り、山崎の合戦で明智光秀を討った。
織田信長の後継を決める清洲会議では信長の孫・三法師を擁して柴田勝家らと対立。賎ケ岳の戦い?でこれらを破った。
その後、徳川家康を小牧・長久手の戦いで服属させると九州・四国を征伐した。1585年、関白となり姓を豊臣と改める。
1589年、北条氏を小田原で滅ぼし、奥州征伐を行って日本全土を制圧した。その後、2度の朝鮮出兵を行うが失敗し、その間の1598年、病死した。

【徳川家康】天文十一年(1542)〜元和二年(1616)
安土桃山時代の武将。松平広忠の嫡男。1542年、三河国(愛知東部)岡崎城で生まれる。
幼少時代を織田氏(尾張清洲)・今川氏(駿河)の人質として過ごしたが桶狭間合戦により独立、織田信長と同盟した。
1573年、長年苦しめられてきた武田氏を長篠合戦で破り、勢力を伸ばす。
織田信長没後の1584年、羽柴秀吉と対立し小牧・長久手で戦うが後に講和。1590年、後北条氏滅亡後の関東に入封。1596年従二位内大臣となる。
1600年に関ヶ原の合戦で石田三成を破り、事実上天下を握る。
1603年に征夷大将軍となって江戸幕府を開いた。また、大坂夏の陣、大坂冬の陣で豊臣氏を滅ぼし、戦国時代を終わらせた。1616年没。

【武田信玄】大永元年(1521)〜天正元年(1573)
戦国時代の武将。武田晴信(武田信玄)は、戦国時代の武将・大名で、甲斐国の守護。河内源氏の傍系・甲斐源氏の嫡流にあたる甲斐武田家の当主。「信玄」とは法名で、諱は晴信、通称は太郎(たろう)。官位は従四位下、大膳大夫。贈従三位。
甲斐の守護を代々務めた甲斐源氏武田家の嫡男として生まれ、隣国の信濃に侵攻、上杉謙信と川中島の戦いを行ないつつ勢力を広げて信濃をほぼ平定。甲斐、信濃、駿河、西上野、遠江、三河と美濃の一部を領するが、上洛の途上、三河で病を発し信濃で病没した。越後の上杉謙信と5度にわたって川中島の戦いで干戈を交えたことでも有名。
風林火山の軍旗を用い、甲斐の虎と呼ばれ、率いた武田軍は戦国最強と評される。

【上杉謙信】亨禄三年(1530)〜天正六年(1578)
戦国時代から天正時代の武将・大名。上杉 謙信(長尾 景虎)は、当主の兄長尾晴景と争って勝ち、越後守護代を譲られる。
関東管領上杉憲政や信濃の諸豪族を援け、利よりむしろ義を通して各地を転戦し、相模・北条氏、甲斐・武田氏等の強敵と度々争った。特に武田氏との5度にわたる川中島の戦いは有名。又、2度上洛して天皇、将軍に謁見献納している。
1561年上杉氏に改姓して、憲政より関東管領職を譲られた。一方北陸方面にも勢力を拡大して加賀能登を制し、1577年には織田信長軍を加賀・手取川に敗っている。
兵の総動員を発して上洛を図るが、出陣を前にして49歳で急死。毘沙門天を崇拝し、一生不犯を通したといわれている義将。

【前田 利益】天文十二年(1543)〜慶長十七年(1612)
前田利益は、戦国時代末期から江戸時代初期にかけての武将で、前田利家の義理の甥。武勇に優れ、古今典籍にも通じた文武両道の将だったが、奇矯な振る舞いを好むカブキ者としても知られた。
通称は宗兵衛、慶次郎、慶二郎、啓次郎など。彼を題材とした漫画「花の慶次 ―雲のかなたに―」の影響で前田慶次という名前で呼ばれることも多い。
諱は利益の他、利太(としたか)あるいは利大(としひろ、としおき)、利貞(としさだ)、利卓(としたか)など複数伝わっている。また浪人時代は穀蔵院飄戸斎(こくぞういん・ひょっとさい)と名乗った。妻は前田安勝女で、間に一男三女をもうけた。嫡男の前田正虎は従兄弟の前田利常に仕えた。

【本多忠勝】天文十七年(1548)〜慶長十五年(1610)
安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将・大名で、徳川四天王・徳川十六神将の一人。
徳川家きっての猛将で、永禄三年(1560年)大高城兵糧入れで初陣後、関が原の戦いまで生涯五十七度の戦いにおいて傷一つ負わなかったと言われる。
鹿角脇立兜をかぶり、止まったトンボさえも真っ二つになるという名槍「蜻蛉切」を片手に、家康とともに主要合戦にはほとんど参陣した。
姉川の戦いでは朝倉勢1万を相手に単騎突入。小牧・長久手の戦いでは豊臣勢数万に対してわずか三百の手勢で渡り合い、小田原攻めの際は、別働隊として関東の諸城を攻略している。
家康の関東入封に際して上総大多喜十万石を拝領し、関ケ原の戦い後は伊勢桑名で十万石の他に次男忠朝が大多喜五万石を領する。慶長十五年十月十八日六十三歳で死去。

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