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コンヤ KONYA

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詳細 2016年2月12日 22:13更新

コンヤはセルチュク朝の首都であったとともに、イスラム神秘主義(スーフィズム)の重要な巡礼地。メヴレヴィー派の創始者でありイスラム哲学・思想にも多大な影響を与えたメヴラーナ・ジェラーレッディン・ルーミィーは故郷ホラサン地方からコンヤへと定住し、彼の霊廟は現在メヴラーナ博物館として公開されている。デルヴィーシュ(イスラム神秘主義僧)によるセマー(イスラム神秘主義の回転舞踊)は、毎年12月コンヤで催される「メヴラーナ週」で鑑賞することができる。

コンヤの歴史
コンヤの定住は紀元前7000年に始まり、その中心は現在のアラアッディンの丘である。その後ヒッタイト人、フリギア人、ローマ人、ギリシャ人の順で定住が進んだ。聖パウロと聖バルバナはアンティオケイア(現在のアンタキヤ)から追放された後、コンヤでもキリスト教布教活動を行った。235年には初期のキリスト教公会議がイコニウム(コンヤのビザンツ名)で執り行われた。
コンヤはその後ルーム・セルチュク朝の首都となった。セルチュク朝がマラズギルトの戦い(1071年)でビザンツ帝国に勝利すると、彼らはさらにイスタンブル方面へと向かい、イズニックを首都にしようともくろんだが、十字軍に後押しされたビザンツ軍に追い返された。それでもセルチュク朝は14世紀初期までコンヤを含める中央アナトリアから東アナトリアのほとんどを支配していた。
もともと遊牧民であったセルチュク族にとって固定した首都というのは当初慣れない考えであったが、マラズギルドの戦いの勝利者であったアルプアスランの後継者・スレイマン・イブン・クトゥルムズの代からコンヤは歴代セルチュク朝君主の居住地となった。13世紀初期の君主アラアッディン・ケイクバードの時代にはコンヤは学問と芸術の中心地となり、最盛期を迎えた。この時代に建てられたモスクなどは今でもコンヤ市内で見かけることができる。

私はコンヤ観光案内所で働いています。

コンヤに来る方、声かけてください。
よろしくお願いします。

毎週土曜日20時より、メブラーナ文化センターで無料でセマー(旋舞)を観ることができます♪
詳しくはメブラーナ博物館向かい側のインフォメーションまでお尋ね下さい☆☆

コンヤの動画・画像
http://www.youtube.com/watch?v=BzfT1AIv4yY

http://www.youtube.com/watch?v=wUgLbfwMCFw

キーワード:
トルコ  メヴラーナ コンヤ セルチュク朝  旋舞  

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開設日
2007年7月13日

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カテゴリ
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