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近藤信竹

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詳細 2015年12月31日 11:32更新

天王寺中学を経て、海兵35期。入学当初は114席と低かったものの、2年次には6席、3,4年次は同期のクラスヘッド(首席)になっている。同期に高須四郎、野村直邦らがいる。経歴をたどると、中佐時代に侍従武官を務めて以降、海上勤務と軍令部関係の職務が多く、特に大佐以降は軍令部の課長、部長、次長と要職を次々とこなし典型的な軍令部系統のエリートといえる。転じて、太平洋戦争では緒戦から中盤に掛けて最前線で艦隊長官を務め、弾雨の中で過ごしている。その為、闘将との評価がある一方で酷評する関係者も多い。

海上勤務においては、聯合艦隊先任参謀に任じられた時の参謀長、参謀長を務めた時の司令長官はともに高橋三吉であった。軍令部の権限強化に尽力して条約派提督の粛清を招いた高橋ではあるが、漸減邀撃作戦に積極的な航空兵力の導入を図ったことは高く評価されている。しかし近藤は大艦巨砲主義に固執しており、高橋から学ぶことはなかったという。

太平洋戦争時は第二艦隊司令長官を務め、南方攻略に当たった海軍部隊の総指揮を執る。指揮下には第二艦隊の他小沢治三郎の馬来部隊、塚原二四三の基地航空隊などがあり、これらをよく連携させて緒戦の成功を収めている。

南太平洋海戦では南雲忠一率いる空母機動部隊(第三艦隊)の前衛としてその前方に展開し、敵の攻撃を効果的に引きつけて味方機動部隊の損害を抑える役割を果たした。

第三次ソロモン海戦でも自ら旗艦愛宕に座乗して前線で指揮を執っており、指揮官先頭を実践した統率は評価が高い。

軍令部部長時代には、課長からの提出書類に目を通さずに押印して次長に届ける癖があった。当時の次長だった嶋田繁太郎は遠慮なく朱筆を入れてリジェクトしたが、近藤はまた目を通さず課長に再考を促すだけで、課長からは案を却下した嶋田ではなく、指導力のない近藤に批判の目が向けられた。海軍省と軍令部の連絡会議においても同様の措置を取り、あらかじめ軍令部課長と雑談していた豊田副武軍務局長は、近藤が持ち込んだ資料と課長たちの談話が寸分たがわぬことを見抜き、近藤を叱責する羽目になった。近藤の成長を願って渾身の添削を重ねてきた嶋田の苦労を、近藤はまったく意に介さなかったことになる。

ただ、後に軍令部次長時代には書類の決裁に非常に慎重になり、部下の中には次長である近藤を飛ばして総長に直接決裁を求める者もいたという。近藤が仕えた軍令部総長は伏見宮及び永野修身と二人とも問題のある人物であり、いきおい自分が慎重にならなければならないと考えたらしい。

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