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西園寺公望

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詳細 2016年4月15日 21:56更新

最後の元老、西園寺公を慕う人のためのコミュです。

歴代の首相の中で最もバランス感覚に優れ
また聡明で、ほどよい理想を持った国際的政治家。
パリ講和会議のときに、日本の全権代表として
国際連盟規約に人種平等条項を盛り込もうと
奮闘した話は有名ですね。

以下、日本歴史人物事典からの引用

***

西園寺公望(1849−1940)

明治大正昭和期の貴族政治家。公家徳大寺公純の次男。母は斐子。西園寺家を継ぐ。のちの侍従長徳大寺実則は実兄。財閥住友吉左衛門(友純)は実弟。王政復古で参与。戊辰戦争に山陰道鎮撫総督、会津征討越後口総督府大参謀として従軍。家塾立命館(立命館大学)を創設(1869)し、長崎に遊学した。明治3年12月3日(1871.12.3)横浜を出発、コミューン動乱のさなかにパリに到着し、塾やパリ大学で学び法学得業士となる。在野の法学者エミール・アコラースの思想的影響を受け、光妙寺三郎、中江兆民、松田正久ら留学生と親交を深めた。はじめ政府留学生、のち私費・宮内省の補助による。13(1880)年に帰国。明治法律学校(明治大学)講師。東洋自由新聞社長となるが、内勅を受け、抗議的上奏文を呈して辞任。14年に参事院に入り、15年伊藤博文に従って憲法調査のため渡欧、伊藤と親しくなる。18年にオーストリア公使、次いでドイツ公使兼ベルギー公使を務め24年に帰国、賞勲局総裁、法典調査会副総裁。枢密顧問官、貴族院副議長をへて日清戦争さなかに第2次伊藤博文内閣文相、また病気の陸奥宗光に代わって臨時外相代理、兼任外相として戦後外交に当たる。伊藤、陸奥と外務次官原敬との関係が強まった。第3次伊藤内閣でも文相、次いで枢密院議長、さらに伊藤の後を原に引き継ぐまで政友会総裁。39年に第1次内閣、44年に第2次内閣を組閣。辞職後大正1(1912)年に優詔を受けて元老に列する。松方正義の没(1924)後はただひとりの元老として後継首相の推薦や天皇の最高政治顧問を務めた。フランス思想と漢学の教養は抜群。自由主義と伝統的権威の間を揺れながら、議会主義と英米協調外交を推進しようとした。

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2005年7月10日

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