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毛利秀元

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詳細 2015年11月24日 16:24更新

歴史上の人物としてはマイナーな人物である事は間違いありません。ある程度戦国史に興味がないと聞いた事すらない名前かもしれませんが、この毛利秀元こそが小早川秀秋と並んで関ヶ原の戦い(1600年)の命運を握っていた、知る人ぞ知る(?)重要人物だったのです。

若干22才にして毛利家主力として1万の大軍を率い、関ケ原南東に位置する南宮山に布陣。しかし、東軍に内通していた従兄弟の吉川広家が麓に陣取り道を塞いでいたため、秀元は傍観せざるを得ませんでした。結局、彼が地団駄を踏んでいる(であろう)間に小早川の裏切りによって西軍は総崩れとなります。


もし、秀元の軍が家康の背後に迫ったならば、戦況も大きく変わったのは言うまでもありません。彼が動ければ、同じく傍観のまま終わった長宗我部盛親も動かざるを得なくなったはずなので、そういう意味では家康にとっても十分脅威であったはず。

関ケ原の戦いは、秀元を封じ込めた吉川広家の内通が勝敗を大きく分けたと言っても過言ではないでしょう。


ちなみに、関ケ原の敗戦の後、秀元は大阪城にて東軍との決戦を主張。もしかしたら、彼は西軍総帥(実は、石田三成は西軍総帥ではない)のいない関ケ原は主戦場ではなく、大阪こそが本当の戦場だと考えていたのかも知れません。

しかし、秀元や立花宗成、小早川秀包ら主戦派の主張は退けられ、肝心の大将である義父の毛利輝元はあっさり大阪城を明け渡してしまいます。


…ここでも、秀元の主張が通っていたならば歴史は大きく変わっていたはずです。仮に西軍が破れたとしても、豊臣家は滅亡しなかったかもしれませんし、何より徳川幕府が長続きしなかったかもしれません。

まぁ歴史のifを語り出したらキリがありませんが、このコミュで秀元についていろいろ議論できればと思います。

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カテゴリ
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