本名:中山次郎
明治7年(1874)8月12日東京生〜昭和6年(1931)8月21日没
享年 58才
日本画家であり謡曲家でもあった。横山大観らと同様に橋本雅邦に師事。
明治37年5月、高橋蔵三郎氏の後任として青森師範学校より北海道師範学校へと赴任。明治39年に北斗画会を林竹治郎らと結成した。
四条派風の歴史人物を描くことが多かったが、狩野芳崖や橋本雅邦の持つ洋風気分も取り入れ、これを巧みに生かしつつ「義経」「比羅夫」等の大作を大正7年の北海道開道50年博で発表するなど、多才なセンスを伺わせた。
大正13年に北海道師範学校を退職するまで爾来本道図画教育界に尽力し、多大なる功績を残す。
退職後も札幌高女、札幌師範学校、札幌二中等を歴任し、大正14年道展日本画部の創設に尽力し、北海道の文化 美術の向上に貢献し、この地の中心的な日本画家の一人として活躍した。
画業の他に謡曲をこよなく愛し、北海道内における観世流謡曲の重鎮でもあった。
繊細な芸術家である反面、お洒落で明るく人気者であったと聞く。
このコミュニティは、特に何かを行うというものではありません。
画家であり、能楽家でもあった「菅原翠洲」という人間を取りあげたかっただけです。
翠洲に関するトピは自由に立ててください。
管理人も翠洲のネタ見つけ次第、順次公表します。