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高橋紹運

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詳細 2017年10月14日 12:24更新

高橋 紹運(たかはし じょううん)
 天文17年(1548)〜天正17年7月28日(1586年9月10日)
 千寿丸(幼名)→ 吉弘鎮理 → 高橋鎮種→高橋紹運(号)

 紹運は法名であり、初めは吉弘鎮理(よしひろ しげまさ / しげただ)、のちに大友宗麟の命令で筑後高橋氏の名跡を継ぎ、高橋鎮種(たかはし しげたね)と称した。

 豊後国守・大友義鑑の重臣・吉弘鑑理の次男として豊前国筧に生まれる。義鑑の子・大友義鎮(のちの宗麟)と父・鑑理から1字ずつ賜り鎮理と名乗る。
 永禄12年(1569年)に大友宗麟の命により高橋氏の岩屋城と宝満城の2城を継ぎ、名を鎮種と改めた。以降は北九州の軍権を任されていた戸次鎮連(立花道雪)と共に筑前国を支配した。
 天正9年(1581年)、男子のいない立花道雪の度重なる要請により、嫡男・統虎を道雪の娘・訐藺紊量四椹劼箸靴拭これにより高橋家は次男高橋統増が継ぐこととなる。

 天正14年(1586年)、島津氏が大友氏を滅ぼすべく岩屋城・宝満山城のある太宰府まで北上。紹運は防御の薄い岩屋城にておよそ763名と共に籠城、島津軍の降伏勧告を拒絶し、徹底抗戦した。
 約2週間に及ぶ岩屋城の戦いの末、紹運をはじめとする高橋勢は全員討死。岩屋城は陥落した。享年39。

 岩屋城の戦いの最中、島津方の武将が城方に矢止めを請い「なぜ仏法を軽んじ、キリスト教に狂い人心を惑わす非道の大友氏に尽くされるのか。貴殿の武功は十分証明されました。降伏されたし」と問いかけた時、紹運は中櫓の上から「主家が隆盛しているときは忠勤に励み、功名を競う者あろうとも、主家が衰えたときには一命を掛けて尽くそうとする者は稀である。貴方自身も島津の家が衰退したとき主家を捨てて命を惜しむのか。武家に生まれた者として恩・仁義を忘れるものは鳥獣以下である」と応え、敵味方双方から感嘆の声があがったと言われている。

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2004年8月13日

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カテゴリ
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