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特急「かもめ」 

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詳細 2013年5月3日 03:36更新

1937年に特急「鴎」が誕生して、今年(2007年)7月1日で70周年になりました。
このコミュは、歴史が深い「かもめ」号にちなんで、「かもめ」の思い出、話題、そして「かもめ」とともに走り去っていった周辺の列車を語るコミュです。
「かもめ」にまつわる思い出、話題などをどうぞ。


特急「かもめ」の歴史

【第一期】誕生から戦時中の運転休止まで
 
 昭和初期大恐況下の日本では、街に多くの失業者があふれ、鉄道旅客の利用は遠のき、貨物の動きも停滞していました。外国ではヨーロッパの「ゴールデン・アロー」やアメリカの「20世紀リミテッド」のような列車名の付いた花形列車が高い人気を博していましが、我が国では明治時代に「弁慶」「義経」など機関車に命名された例があったものの、列車に名前をつけた事はありませんでした。
 そこで鉄道に広く親しんでもらい、利用者増につなげようと、1929(昭和4)年8月に列車につける愛称の一般公募を行い、ベスト10の結果は下記の通りとなりました。

(1)富士、(2)燕、 (3)櫻、(4)旭、 (5)隼、
(6)鳩、 (7)大和、(8)鴎、(9)千鳥、(10)疾風

 早速1929年9月15日全国ダイヤ改正にて、1位の「富士」が東京〜下関間1・2等特急1・2列車に、3位の「櫻」が3等特急3・4列車にと、初めて特急列車の愛称として設定されました。
 翌1930(昭和5)年10月1日には、前年の公募の際2位ながら超特急誕生まで暖められていた、スピード感あふれる超特急「燕(つばめ)」が誕生、東京−神戸間を走り始めました。

そして1937(昭和12)年7月1日、「燕(つばめ)」の姉妹列車として、今から丁度70年前に日本で4番目の特急「鴎(かもめ)」が誕生し東京−神戸間を走り始めました。当時の時刻表を見ると超特急「燕」よりは所要時間が20分ほど掛かったものの、同じ特急「桜」「富士」よりは俊足でしたが、時間帯的には「富士」「櫻」の補完列車としての性格が強く、展望車は1939年(昭和14年)3月まで連結が見送られました。
しかし、当時の特急列車は全国でこの四本しかなく、列車の中でもエリート中のエリートの存在で、庶民にはなかなか乗ることの出来ない憧れの列車でした。この「鴎」の設定された頃が、戦前の鉄道の最盛期でしたが、6日後の7日に盧溝橋事件が起こって日中戦争が勃発し、日本は次第に戦時体制に突入、軍需物資輸送のため貨物列車を優先するダイヤとなり、設定から僅か5年半後の1943年(昭和18年)2月15日戦況の悪化に伴い運転休止されてしまいました。

■昭和15年10月〜の編成 1031・1032列車 東京−神戸
←進行方向 スハニ35750 スハ33650 スハ33650スハ33650 スハ33650
      スハ33650 スシ37800 スロ30960 スロ30960スイテ37050
○牽引機  東京−沼津 EF50・EF53 沼津−神戸 C53

■昭和15年10月時刻表より 東京13:00→大阪21:20→神戸21:56
  神戸 8:23→大阪 9:00→東京17:20

【第二期】戦後 京都〜博多の客車時代
 
 戦後間もない昭和24年に東海道本線では特急が復活、翌年には「つばめ」「はと」の二枚看板となり戦後復興期の国鉄のシンボルとして活躍をはじめました。その後、戦前・戦中に特急が設定されていた九州、山陽の沿線各地からも特急設定の要望が出され、1953年(昭和28年)3月15日、京都〜博多間を結ぶ特急列車として、また戦後3番目の特急として「かもめ」が復活しました。山陽本線を走る九州連絡特急としては、戦前に「富士」・「櫻」が設定されていましたが、戦中の1944年(昭和19年)に「富士」を最後にして休止されたため、戦後初の山陽本線から九州を走る特急となりました。博多駅での出発式では花束贈呈、駅の外では打ち上げ花火、五色のテープが舞い、かもめならぬ鳩まで放たれ、万歳三唱、拍手と歓迎ムード一色だったそうです。また東海道本線の「つばめ」「はと」で好評だった女性乗務員も採用され、いわゆる「かもめガール(博多車掌区所属)」として博多〜京都間に乗務しました。
 なお、設定当初は三等車の座席が現在のような回転式でなく、固定式であった為に編成全体を方向転換する必要があり、博多方では博多→香椎(香椎線)→酒殿(通称:旅石貨物線)→志免(勝田線)→吉塚→竹下と2時間近く掛かって方向転換をしていましたが、1957年(昭和32年)6月よりスイス国鉄の技術を導入した新型軽量車両の10系客車を三等車に投入。座席は一般型のボックスタイプでしたが、これにより編成の方向転換を行なう必要も無くなり、編成が軽量化されたことにより多客時の増結や運転時間の短縮にも寄与することとなりました。 余談になりますが現在複線区間の踏切の警報機には列車の進行方向を示す矢印が付いてますが、これは1958年(昭和33年)8月14日、山陽本線岩国〜南岩国間の警報機がある踏切で、直前に下り列車が通過したため列車が通過したものと誤認した米軍トラックの運転手が警報作動中に踏切へ進入し、上り特急「かもめ」(C62形蒸気機関車+客車9両)と衝突、機関車と客車5両が脱線転覆した事故を教訓に整備が進んだものです。

■昭和28年3月15日〜10月31日の編成 5・6列車 京都−博多
←進行方向 スハニ35 スハ44 スハ44 スロ54 スロ54 スシ48 スロ54 スロ54       スハフ43
■昭和33年10月1日〜昭和36年9月30日の編成 201・202列車
←博多 オハニ36 スロ54 スロ54 スロ54 マシ49 ナハ11 ナハ11 ナハ11
    ナハフ11 京都→ (スロ54はナロ10に、マシ49はオシ17に順次置換)

○牽引機 京都−下関 C59・C62 (上りの広島−八本松間は急勾配区間の後補機としてD52を連結)・・電化区間の延伸により1958年(昭和33年)4月 京都−姫路EF58、1960年(昭和35年10月 京都−岡山EF58に変更・・・、下関〜門司EF10、門司〜博多C57 1957年(昭和32年)よりC59に変更(晩年はC60も使用)

■昭和31年11月時刻表 京都 8:30→大阪 9:10→博多19:10
博多10:00→大阪20:00→京都20:40
■昭和36年 9月時刻表 京都 8:30→大阪 9:10→博多18:55
博多10:15→大阪19:57→京都20:40

【第三期】気動車時代「かもめ」は長崎へ

 1961年(昭和36年)10月1日、戦後最大の時刻改正と謳われた通称”サンロクトウ”ダイヤ改正で、特急とは言え急行と同じ茶色の客車を使用していた「かもめ」は、「かもめガール」は廃止されたものの特急専用車として優雅なスタイルで登場した最新鋭キハ82系気動車特急に生まれ変わりました。運転区間も京都−長崎/宮崎(日豊本線経由)間となり、12両編成のうち食堂車は何と2両も連結していました。1963年(昭和38年)10月には増大する需要に対し14両編成に増結、その後長崎編成の相方は1965年(昭和40年)10月鹿児島本線経由の西鹿児島駅発着に変更、そして1968年(昭和43年)10月、戦後2度目の白紙大改正と言われた通称”ヨンサントウ”ダイヤ改正で、西鹿児島編成を佐世保発着に変更し、「かもめ」は関西圏対長崎県系統の特急列車の名称となりました。この際、佐世保編成は筑豊本線経由で運転され小倉で分割・併合作業が行なわれた為に、小倉〜黒崎間と原田〜肥前山口間では2本の「かもめ」が同一方向に数分差で運転されました。
 そして、1975年(昭和50年)3月10日「ひかりは西へ」のキャッチフレーズで山陽新幹線が博多まで開業。九州対関西としての役割を終えた「かもめ」は前日の3月9日をもって廃止をされてしまいました。


■昭和36年10月時刻表 京都 8:00→大阪 8:33→博多17:30/33→長崎20:05
長崎 9:50→博多12:22/25→大阪21:25→京都22:00
昭和36年10月1日の編成 1D・2D列車 京都ー長崎/宮崎
←長崎/宮崎<キハ82 キロ80 キシ80 キハ80 キハ80 キハ82><キハ82 キロ80 キシ80 キハ80 キハ80 キハ82>京都→

■昭和47年10月時刻表 京都 7:30→大阪 8:06→博多16:43/45→長崎19:04
(市布経由新線開業) 長崎10:39→博多12:57/13:00→大阪21:48→京都22:25
昭和47年 月1日の編成 3D・4D列車 京都ー長崎/佐世保
←佐世保/長崎<キハ82 キロ80 キハ80 キハ80 キハ82><キハ82 キロ80 キシ80 キハ80 キハ80 キハ80 キハ82>京都→
【第四期】長崎本線の九州島内特急として

1976年(昭和51年)6月6日に長崎本線佐世保線の全線電化が完成し、翌月の7月1日のダイヤ改正で気動車急行「出島」4往復を485系電車を使用の特急に格上げ、小倉・博多ー長崎間に7往復が運転され「かもめ」号の名称が長崎本線に僅か1年余で復帰しました。この後も増発が続き、1982年(昭和57年)11月15日のダイヤ改正では13往復体制となり、これにより長らく電化区間のみを走る架線下気動車とし残っていた急行「出島」は廃止されました。その後は

・1989年(平成元年)3月11日には18往復に増発、うち2往復はJRグル ープ最初の新造特急電車として登場した783系電車「ハイパーサル ーン」を投入。長崎〜博多間を初めて2時間の壁を破るとともに、 客室乗務員として「かもめレディ」が28年振りに復活しました(但 し、3年程で「かもめレディ」は廃止)

・1990年(平成2年)3月6日より485系電車を「あっ!」と驚く赤一色 塗装の「KAMOME EXPRESS」にリニューアルした車両を順次投入。
 また、783系による130km/hの運転を実施し、時間短縮。

・1994年(平成6年)3月1日、「つばめ」用として人気の高かった787 系電車を投入。(但し、長崎・佐賀・福岡の3県を対象とした「ウェストラリアキャンペーン」のため、前年の10〜11月の土・日・祝日に「かもめ13・24号」の使用車両を485系から787系9連に変更、10/1に展示のため長崎初入線、10/2より変更)再度「かもめレディ」復活(787系の撤退により2年で廃止)。

・2000年(平成12年)3月11日、振り子制御でカーブをこれまでより 高速で走ることが出来る885系電車「白いかもめ」を投入し、所要 時間の短縮と居住性の向上を実現。また2005年(平成17年)4月から、 女性乗務員の乗務が再びスタート。


1987年のJR化以降は、次から次へと新車、リニューアル車を投入し、サービスの向上に努めました。現在では25往復体制となり、単独運転列車(16往復)は885系、「みどり」併結列車(9往復)は783系に統一されています。


現在日本で走る特急の中でも、3番目に古い歴史をもつ由緒ある名称を受け継ぐ「かもめ」は現在も個性豊かなJR九州の車両の中で、眩いくらいの白いボディと魅力的な内装を持つ885系、JRグループ最初の新型特急車両として、車両中央部の乗降口・先頭車でのパノラマ展望・座り心地の良い座席(一次車)と斬新なデザイン・JR九州初の130km/h運転が可能な車両として登場した783系とのコンビで、ファンならずとも「一度は乗ってみたい」という旅心を誘う列車として今日も走り続けています。

【所要時間の変遷】
  ●京都〜博多
  昭和28年 3月 10時間40分 客車時代
  昭和36年10月 9時間30分 キハ82系気動車化
  現 在 9時間50分 特急「あかつき」
   〃     2時間38分 500系「のぞみ」

   ●博多〜長崎
  昭和36年10月 2時間32分 気動車時代
昭和47年10月 2時間18分 市布経由新線開業
  昭和51年 7月 2時間24分 電化開業電車化(485系)
  昭和62年 4月 2時間07分 国鉄からJRへ(485系)
   平成元年 3月 1時間57分 783系ハイパーサルーン
  平成 2年 3月 1時間50分 783系ハイパーサルーン 130km/h運転開始
   現 在     1時間45分 885系白いかもめ
       注)時間は最速列車

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開設日
2007年5月27日

3485日間運営

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