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嘉納治五郎

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詳細 2021年1月10日 21:36更新

講道館柔道の創始者である嘉納治五郎先生のコミュニティです。
柔道関係のコミュ二ティは沢山あるのに創始者である嘉納治五郎先生に関するコミュニティがひとつも見当たらなかったので、立ち上げました。

今は亡き嘉納先生を偲び、先生の生き様とその思想について研究していくコミュニティにしていこうと思っています。

嘉納治五郎(かのう じごろう、1860年12月9日(旧暦万延元年10月28日) - 1938年5月4日)は、明治から昭和にかけての柔道家、教育者。講道館柔道の創始者であり、柔道・スポーツ・教育分野の発展や日本のオリンピック初参加に尽力するなど、日本に於けるスポーツの道を開いた。「柔道の父」と呼ばれる。
目次
* 1 経歴
* 2 エピソード
* 3 弟子
* 4 関連人物
* 5 モデルとしたフィクション
経歴

摂津国御影村(現兵庫県神戸市東灘区御影町)にて生まれる。嘉納家は御影に於いて屈指の名家であり、祖父の治作は酒造・廻船にて甚だ高名があった。その長女・定子に婿入りしたのが治五郎の父・治朗作希芝である。初め、治作は治朗作に家を継がせようとしていたが、治朗作はこれを治作の実子である義弟に譲り、自らは廻船業を行って幕府の廻船方御用達を勤め、和田岬砲台の建造を請け負い、勝海舟のパトロンともなった。柳宗悦の義母は治五郎の姉である。ちなみに同じ嘉納家ではあるが嘉納三家と呼ばれる現在の菊正宗酒造・白鶴酒造とは区別される。

治五郎は治朗作の三男に生まれ、幼少から英才であり、13歳のときに明治政府に招聘された父に付いて上京した。東京にて書道・英語などを学んだ後、14歳のときに育英義塾に入塾。その後、官立東京開成学校(のちの東大)から1877年に東京帝国大学(現 東京大学)に入学した。

しかし育英義塾・開成学校時代から自身の虚弱な体質から強力の者に負けていたことを悔しく思い、非力な者でも強力なものに勝てるという柔術を学びたいと考えていたが、親の反対により許されなかった。

東京帝国大学入学の年に念願の柔術入門を果たす。当時は文明開化の時であり、柔術は全く省みられなくなり、師匠を探すのにも苦労し、柳生心眼流の大島一学に短期間入門したりもしたが、やっとのことで探し当てた福田八之助から天神真楊流柔術の教授を受ける。この時期の話として、「先生(福田)から投げられた際に、『これはどうやって投げるのですか』と聞いたところ、先生は『数さえこなせば解るようになる』と答えられた」という話がある。窮理の徒である治五郎らしい話である。

福田の死後は天神真楊流の家元である磯正智に学ぶ。磯の死後、今度は起倒流柔術の飯久保恒年に学ぶようになる。明治12年(1879年)7月、渋沢栄一の依頼で渋沢の飛鳥山別荘にて、7月3日から来日中のユリシーズ・S・グラント前アメリカ合衆国大統領に柔術を演武した。

柔術二流派の技術を取捨選択し、崩しの理論などを確立して独自の「柔道」を作り上げ、大学卒業後の明治15年(1882年)5月5日、柔道場を下谷北稲荷町永昌寺書院に設け、囲碁、将棋から段位制を取り入れ「精力善用」「自他共栄」の言葉を掲げた講道館を設立した。

一方で、学習院教頭、東京高等師範学校(現筑波大学)校長、旧制第五高等学校(現熊本大学)校長などを務め(部下の教授に、夏目漱石、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)等がいた)、旧制灘中学校の設立にも関わるなど教育者としても尽力する。また、中国人留学生の受け入れにも努め、牛込に弘文学院(校長松本亀次郎)を開いた。のちに文学革命の旗手となる魯迅もここで学び、嘉納に師事した。魯迅の留学については2007年、温家宝来日の際、国会演説でもとり挙げられた。また、旧制第五高等学校の校長だった頃、旧熊本藩の体術師範だった四天流柔術家・星野九門と交流している。

1909年には日本人初のIOC委員となり、1911年に大日本体育協会(現日本体育協会)を設立してその会長となる。1912年、ストックホルムオリンピックの日本オリンピック初参加に於いては団長として参加した。

1936年のIOC会議で1940年に東京へのオリンピック(後に戦争の激化により返上)招致に成功した。1938年のIOC会議からの帰国途上(横浜到着の2日前)、氷川丸の船内で肺炎により死去。享年77。遺体は氷詰にして持ち帰られた。

1978年より「嘉納治五郎杯国際大会」が開かれ、2006年までに12回行われている。

エピソード

明治24年(1891年)1月、欧米視察の帰船でロシア人士官に挑まれこれを投げた。同年4月10日の讀賣新聞がこの記事を掲載した。

弟子

* 阿部信文
* 門脇誠一郎
* 西郷四郎
* 横山作次郎
* 富田常次郎
* 山下義韶
* 三船久蔵
* 広瀬武夫 (旅順港閉塞作戦において殉職。軍神第1号とされる。)


関連人物

* 大森兵蔵
* ストックホルムオリンピック日本選手団
* 嘉納行光

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開設日
2007年5月23日

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カテゴリ
スポーツ
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