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池袋通り魔事件造田被告を救う会

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詳細 2017年2月15日 23:18更新

99年池袋で起きた通り魔事件、造田被告の不当な死刑判決を見直すよう求める会。

彼にはその不遇な生い立ちにより事件に至ったという経緯から、多くの人の同情の声が上がり、減刑を求める署名も多数寄せられている。


造田は、進学校の高校に通学し成績は優秀だったが、その後両親が賭博などが原因で数千万円の借金を残して失踪。
残された彼の家には借金取りが連日のように押しかけてくるようになり、経済的な困窮も原因となり、高校生活や夢見た大学への進学も破綻。
以後、一時は兄に引き取られ、その後職を転々としていた。

日本での人生に絶望した彼は、新天地を求めてアメリカに短期渡航したが、十分な滞在費がなく、また就職先もなかったので、現地のキリスト教会の牧師に事情を話し、教会の仕事を手伝うのと引き換えに衣食の面倒を見てもらっていたという。逮捕後の尋問時には、この時期が人生で最も充実していたと回想している。

だが、こうした現地での生活も、滞在期限の失効と同時に終わってしまう。
その後、働きながらの大学への通学も考えたが費用の面から頓挫。

99年、造田は足立区内の新聞販売店で配達員として働き始める。
勤務態度は真面目で評判もよく、遅刻をすることもなかったという。

99年9月1日 造田は朝寝坊をし、初めての遅刻をしてしまう。
所長の勧めもあり、連絡用の携帯電話を持つことになり、電話番号は所長にだけ伝えておいた。

9月3日 同僚の一人からしつこく携帯番号を聞かれ渋々教えた。
造田が内心「努力しない人」と毛嫌いしている同僚であった。

同日22時4分、携帯電話が鳴り、出ると無言で切れた。
造田は同僚のイタズラに違いないと思った。
努力していない人間からの嫌がらせに腹が立った。それがきっかけで自分の価値を認めない社会に復讐してやる決心をした。

9月4日午前3時ころ アパートの自室の扉の外側に「わし以外のまともな人がボケナスのアホ殺しとるけえのお。わしもボケナスのアホ全部殺すけえのお」「アホ、今すぐ永遠じごくじゃけえのお」と書いたレポート用紙を貼り付け家を出た。この家に戻るつもりも新聞配達店に出勤するつもりもなく、バッグにしまった携帯電話の電源を切った。
部屋には「努力しない人間は生きていてもしょうがない」という走り書きも残した。

その後、造田は赤坂のカプセルホテルに泊まって、池袋の繁華街をふらついたり、ゲーセンで遊んだりしていた。

9月6日午後、池袋で包丁とハンマーを買った。社会に復讐する用意はできたが、会社員の兄に迷惑がかかると思い決心がつかないでいた。

9月8日午前10時、赤坂のホテルを出て地下鉄で池袋に来た。サンシャイン60などに行ったあと、午前11時40分ごろ東急ハンズ池袋店の前に出た。
そこで造田は路上におろしたバッグから包丁とハンマーを取り出した。
そして犯行に及んだ。


12月22日 東京地裁で初公判が開かれた。検察側は冒頭陳述で、自分の努力が報われず、豊かな社会や何もせずとも恵まれている人々に反感を募らせた被告が無言電話されたことをきっかけに無差別殺人を決意した、と述べた。
また起訴前に行った簡易鑑定で「人格障害の範囲内で精神病とは認められない」とする診断が出ているので、刑事責任が問えるとした。

弁護側は「犯行当時は心神喪失、または心身耗弱だった」として正式な精神鑑定を求めた。




包丁 ハンマー かわいそう 中退 サンシャイン60 冤罪

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2007年5月23日

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