聖なる映画作家、カール・ドライヤーを愛する人。
『奇跡の海』じゃなくて『奇跡』を観た人。
『女と男のいる舗道』だけじゃなく『裁かるるジャンヌ』を見た人。
など、その“体験”が忘れられない人。
とにかく、震えます。。
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カール・ドライヤー Carl Th. Dreyer
1889年2月3日コペンハーゲンで生まれる。 ジャーナリストとして活躍した後、映画の脚本を書き始め、1919年に監督第一作『裁判官』を製作。同じ年に大作『サタンの書の数ページ』を発表。以降、デンマーク、スウェーデン、ドイツ、ノルウェーなどを転々としながら映画を取り続ける。1927年、フランスで『裁かるるジャンヌ』を製作。これは後に映画芸術の金字塔と呼ばれるドライヤーの代表作となる。1930-31年ドイツで初のトーキー作品『吸血鬼』を製作。興行的な成功には恵まれず製作から遠ざかる。1943年ナチ政権下のデンマークで『怒りの日』を撮るが、この後も製作の機会は少なく、10年に1本のペースで1954年に『奇跡』を、1964年に『ゲアトルーズ』を発表。これが遺作となった。長い間企画していた「ナザレのキリスト」の実現を間近にひかえた1968年3月20日コペンハーゲンの病院で亡くなった。