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右派にNO!

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詳細 2017年3月9日 12:37更新

今度の参議院選と衆議院選で右派が勝ったら、日本は決定的な歴史の臨界点を通り越して、不可逆的な変化を起こしてしまう。今度の選挙の争点は「右派にNO!」でなければならない。わたしは、この破局から日本を守るためのメッセージを
『いじめと現代社会』(双風舎)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4902465108/
で世に発した。



「二種類の国家観」

『いじめと現代社会』126〜131ページ



二種類の国家観






 国家観には二種類ある。

 ひとつは、国家を、一人ひとりの人間の共存と福祉のための公共財である機械装置と考えるものである。国家は水道や電気や医療や交通網のように、人びとの生存にとってきわめて重要なものだ。その意味で、危険なメンテナンス業務をおこなっている自衛官は、高圧線の上で危険業務をしている技師と同様に、尊敬されて当然である。この私にしても、大切なインフラストラクチャーとしての国家をよりよいものにするために、この文章を書いている。しかし、いかに国家が重要であるとはいえ、それを「愛する」などというのは、水道管や電線をぺろぺろ舐めまわし、女性の靴や下着のにおいを嗅ぐのと同様、変態である。この第一の国家観からいえば、愛国心はフェテシズムの一種である。愛国心ではなく、苦労して磨きあげた公共財機械装置の性能のよさに対するプライド、という意味での国家プライドはあるかもしれない。国家が愛国心などという変態心性を万人に要求する制度は、日本国装置の性能の悪さとして、国家プライドを大いに傷つけるだろう。

 それに対して、国家を一人ひとりの人間の生命を超えた、より高次の崇高なる集合的生命とする国家観がある。このようなリアリティを生きる人びとにとって、国家装置の防衛メンテナンスのための危険業務組織(軍隊)は、集合的生命の男根のように感じられる。アメリカに負けて憲法九条を押しつけられたのは、「全能感を断念しなさい」と去勢されてしまったような、屈辱の体験である。また集合的生命の根本にあるはずの神聖にして侵すべからざる天皇を、たんなる「象徴」にされてしまったのは、河童に尻こ玉を抜かれたような屈辱である。そして日本は、自由だの人権だの民主主義だの甘ったるい白粉をぺたぺた塗られて、女にされてしまったと、彼らは感じる。

 第一の国家観は、人びとの安全と生命を守りながら繁栄をもたらそうとするリアリズム政治のための、基本の基本である。国益の計算や戦略的思考も、この国家観を前提としなければ、何の意味もない。

 第二の国家観は、非常時に短期間「だけ」、ひとびとを狂わせるための興奮剤である。必要がないときに使ってはならない。そして二一世紀の世界でそれが必要になる時は、もうない。いまではこういったドラッグは、貧しい国々で誤用され、悲惨な流血や国土の荒廃をもたらす廃棄すべき毒物でしかない。

 この毒物ともいうべき第二の国家観はどのようにして生まれたか。江戸幕府が支配していた日本列島は、列強の植民地にされる危険にさらされていた。当時の指導者たちは、ゆっくりと変化する時間的余裕がないなかで近代国家をつくりあげるために、集合的生命感覚に酩酊させるしかけを、当時入手可能な素材からでっちあげた。それがアッパー系の天皇である(筆者注…意識変容ドラッグにはアッパー系とダウナー系がある)。もともと京都で平和に生きていた穏やかな文化財天皇は、おきのどくなことに、社会の武張ったアッパー系ドラッグに改造されてしまった(そもそも天皇に勲章まぶしの軍服を着せて髭づらの大元帥にするなど、貴重な文化財に対する一種の虐待ではないだろうか)。そして、このドラッグは効いた。国家の集合的生命感覚は、アッパー系天皇を玉幹とする國體として、人びとの魂の底に埋め込まれていった。

 生存のための必要に駆られて狂気のドラッグを使うときは、そのまえに目覚まし時計をセットしておき、時がくれば醒めるようにしておかなければならない。目覚まし時計を管理すべき指導層は大衆を騙すための薬物にのめり込んではいけない。しかし、指導層の間でも「○○は國體にそぐわない」やら「不忠」やらといった、自家中毒が蔓延した。ヤクザが売り物の覚醒剤に手を出すように、国家の中枢が緊急用大衆操作劇薬の自家中毒にやられたのだ。きちがいドラッグにおかされた指導層はアメリカと戦争をするといった愚行に走り、敗戦の条件交渉にいたっては国民の生命や安全といった本来の目的よりも國體護持などという幻想の薬物を大切にするていたらくであった。国家の指導層として、これほどでたらめな酩酊者たちは類をみない。

 ところでアッパー系の天皇のからくりは、どういうものだったのか。それは狭隘な人間関係のずぶずぶの情動の反射がそのまま社会の秩序でもあり、それ以外の秩序感覚を知らぬプリミティヴな愚民が愚民のまま、機能分化した社会に必要不可欠な普遍性や超越性に接続しうる「半」普遍・「半」超越のしかけである。つまり、母や父や妻や同胞や近隣の人びとと付き合う心情の論理が、みなで心に描く天皇のイメージをフックとして、そのまま普遍的・超越的な広領域の論理に曖昧に重ね合わされるしかけである。たとえば、カミカゼ特攻隊で自爆死する兵士は、ほんとうは国家のためではなく、母や妹や愛する者のためと実感しながら、それがなぜか国家のための自爆攻撃でもある、という「半」の曖昧感覚につつみこまれて死んでいく。それは武張った男根の先端でありながら、同時に乳房への憧憬につられて散華してしまう「半」にからめとられた死である。アッパー系ドラッグとしての天皇が、プリミティヴな感覚を国家につなげて、集合的生命感覚を蔓延させる仕掛けは、この「半」の曖昧な重ね合わせにあった。

 これは人間のプリミティヴな領域を大切にするというよりも、プリミティヴな領域を、本来普遍的・超越的なものが機能すべき領域で、その機能的等価物として徹底的に搾取・開発・利用しつくすからくりでもある。ちなみに、文学でえんえんと問題にされてきた「家」や「世間」の息苦しさは、このメカニズムの副産物でもある。プリミティヴなものが過度に公的・普遍的・超越的に用いられ、公的・普遍的・超越的なものが過度にプリミティヴに作動する社会の根本原理が「天皇制」と呼ばれたのも、あながち的はずれでもない。このような社会が、ひとびとの日常生活において非常に網の目の細かい精神的売春を強いるのは、原理的必然である。

 アッパー系の天皇を残すことを國體の護持として執着した者たちは、このような「半」超越・「半」普遍の社会をもって日本となしたのであろう。

 このような「半」のメカニズムは、普遍的・超越的なものが、そのまま特定人物の〈顔〉と重なって生きられる新興宗教団体では、ありふれた現象である。団体が政治的な影響力をもつようになった場合、普遍的・超越的なものの論理の連鎖に、かぎりなく敬愛すべき固有の〈顔〉がモザイク状に差し挟まれ、政治的に奇妙な振る舞いがなされる。というよりも新興宗教の多くは、「半」超越・「半」普遍のメカニズムにより、急速な拡大をする。

 さて、現在与党自民党で大きな勢力となっている右派は、教育基本法や憲法を改正して、日本を「より日本らしい」姿に戻そうとしている。また、戦前のアジア諸国への侵略を否認する言動を繰り返している。前者についてはすでに論じた。後者については、現在の国際関係上、国益を損なうどころか、現在日本を大きな危機に陥れている。

 北朝鮮が(かつての日本のように)暴発するとしたら、反日感情がたかまる中国や韓国にかばってもらえる可能性を過大に誤認して、その対象を日本にする可能性が考えられる。そうなった場合、いったいどれほどの人が死ぬことか。一部の右派たちは日本一国で北朝鮮に対して経済制裁をおこなうなどという愚策を提示しているが、経済制裁は中国や韓国などのアジア諸国と共に包囲網を築いたうえでなければ、効果を発揮できない。核攻撃の可能性がある北朝鮮に対しては、アジア諸国との友好関係を前提として、実効的な経済制裁(の可能性)によるコントロールをおこなえる条件を整える必要がある。

 しかしながら、右派の「歴史認識」のせいでアジアに反日感情が蔓延し、それができない。国際関係のなかで北朝鮮の立場を有利にしているのは、「ありがたいことに」日本の右派である。また日本の右派は、反日運動によって民衆の不満をそらせて中国共産党独裁を延命させるのにも役立っている。こういった日本の右派がもたらす危険性は、国連を含め、世界のあらゆる方面から危惧され指摘されていることである(もちろん日本の左派が北朝鮮に協力し援助し続けた経緯も、すべてあからさまにし、厳しく責任を追及する必要がある)。

 アッパー系の天皇を基幹とする國體像を戴く右派勢力を政界・財界・官界・メディア界の主導的な位置から退かせる必要がある。さらにいえば前述のように、右派と左派という半族の構図を根本的に消滅させるべきである。

 さて、アッパー系天皇メカニズムの暴走が起きるたびに抑止行動をとり続け、それを新しい時代に適合したダウナー系の天皇にデザイン変更しようとしてきた人がいる。また、彼の動きから、首尾一貫した原理原則を抽出し、天皇の象徴責任という概念を提出することができる。

 次項では、まず明仁天皇(現在の日本国天皇)が右派勢力に抵抗して「政治的発言」をおこなう動き方から、首尾一貫した原理原則を抽出し、そこから天皇の象徴責任という概念を提出する。彼はみごとに象徴責任を果たしている。次に隆起一貫型超越性と瀰漫浸潤型超越性について論じた後で、アッパー系天皇&國體システムに対する、ダウナー系天皇&日本国憲法システムの可能性を提示する。ダウナー系の天皇は、「半」超越・「半」普遍レセプターを閉じる「無用の用をなす蓋」となり、その「蓋」から普遍的ヒューマニズムという超越点への端的な指し示しをおこなう。これは明仁天皇が、日本国憲法を守るために、これまでずっとおこなってきたことでもある。



 私は彼を支持する。

(ここまで、前管理人のメッセージ)

 前管理人のpeacemanさんが突如退会して以来宙ぶらりんだったこのコミュ、私こと克森淳が管理することにしました。アカデミックな事は書けないが、「右派うざくね?」「今の日本の保守派は狂ってる」と言う方じゃんじゃん声を上げておくんなまし。

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