米国のホテルで無給の皿洗いからホテルマン人生をスタート。
28歳で、世界に750ものホテルを運営するスターウッドの次長に就任、
30歳で部長……。
米国ホテル業界でスピード出世をし続けた後、凱旋帰国。
宮崎のシーガイアに赴任し営業本部長として再建に奔走した。
感性とロジカルな思考能力の双方に長け、
サービス、現場のマネジャー、マーケティング、セールス……、
すべてにおいて優れた能力を発揮。
「大和魂が込められたホテル、
西洋のモノマネじゃない日本人の心が込められたホテルをつくる。
それも自分ブランドのホテルを」。
夢に向かって奔走した32歳、志半ばで夭折した天才ホテリエ。