全盛期の篠原のストレートが1回でいいからもう一度見た
い人。
↓ ↓ ↓全盛期の投球↓ ↓ ↓
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↑↑↑小笠原への2球目以外全球ストレートです↑↑↑
■■■■■■■■当時のインタビュー■■■■■■■■■
---小久保は、篠原をこんなピッチャーだと語る。---
「ストレートが来ると分かっていて狙ってもストレートをヒットにできない数少ないピッチャーじゃないですかね。だから、篠原が打たれて負けたらそのゲームはもうしょうがないという気持ちで、僕らも守っていますしね」
---城島の篠原評---
「ストレートと分かっていても打たれないピッチャーですから、腕を思い切り振って真ん中めがけて投げてくれればいい。いつもそうですよ。困ったら、真ん中に投げることしか考えないです」
---王監督は篠原をどう見ているのか。---
「ストレート一本で勝負する気持ちが相手のバッターを上回っているところが、彼の一番いいところじゃないですかね。そして、そのストレートは分かっていてもバットが空を切り三振する」
■■■■■■■■■そして去年■■■■■■■■■■
---ソフトバンクホークス公式サイトからの抜粋---
---2006年5月27日(日)ヤクルト戦後の記事---
ホークスの黄金時代は彼とともにある。
99年以降の3度の優勝は、彼の活躍なしには語れない。
99年は開幕14連勝を記録。03年には胴上げ投手に輝いた。
その当時はほぼストレートのみの投球。今で言う藤川の
様に打者が分かっていても打てない「魔球」だった。
だが、過去2年、左肩の故障に苦しみ一軍のマウンドか
ら遠のいた。直球の威力は随分と落ちてしまった。
篠原は
「もうあの頃の様に真っ直ぐだけじゃ通用しない。緩急を活かしたスタイルを確立しないといけない」
と言う。
再びマウンドに立った彼は、巧みな変換球で速球を活か
していた。
しかし、この日のストレートにはあの当時の「魔球」の
威力があった。
スピード、キレともに完全復活を感じた。
ただ、今の彼はそれだけに頼らない。
黄金期から、さらに進化した投球だった。
3番手で登板した篠原貴行投手。七回表2死一塁の場面で
マウンドに送り出され、対するはこの日3安打の福留。
初球は「ニュー篠原」の代名詞である変化球。
外角低めのスライダーで空振りを奪う。もう1球スライ
ダーの後、今度は自慢の直球でファールを打たせる。再
びスライダーを2球続け相手の目を惑わして、最後は
141キロのストレート。
外角にコントロールされた渾身の1球は、打者に反応す
ることすら許さなかった。
続く八回、4番のT.ウッズ選手はスライダーで三振に
仕留めた。
成熟した投球術だった。