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村上源氏と源氏長者

村上源氏と源氏長者

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詳細 2014年7月16日 17:21更新

村上源氏は、右大臣の源師房(具平親王の子資定王)を祖とする。

資定王は2歳で父親と死別し、姉の隆子女王(源隆姫)に育てられる。後に隆子女王が摂政藤原頼通の正室となると、子供のなかった頼通は資定王と養子縁組をするために、姉弟を臣籍降下させた。頼通の父・藤原道長も師房を寵愛して娘を嫁がせた上に頼通に男子が生まれなければ、師房を藤原氏に改姓させて摂関家を相続させても構わないと言ったとされている。

源師房は摂関家を継ぐことはなかったが、その子孫からは多くの大臣を輩出している。
源雅実は源氏最初の太政大臣となり、鎌倉時代の源通親は藤原氏の九条家に対抗し後白河法皇・後鳥羽上皇の院政下で活躍し、土御門天皇の外祖父として権勢を振った。

源通親の子の通光以後は久我(こが)を家名とし、足利義満が太政大臣となるまでは清華家である久我・堀河・土御門・中院の4家が交互に源氏長者を世襲した。しかし室町時代に堀河・土御門両家が断絶(戦国時代以後の堀河・土御門家はそれぞれ藤原氏・安倍氏の子孫)し、源氏長者は久我・中院両家の世襲となった。

源氏といえば武家として活躍した清和源氏を想起する人が多いが、公家社会では村上源氏が最高とされていた。

久我家からは大臣家となる中院家他、合計10家の堂上家を輩出した。

南北朝の北畠親房、顕家は村上源氏の一族であり、幕末の岩倉具視も村上源氏の傍流になる。赤松円心の播磨国の赤松氏は村上源氏季房流と称し、また名和長年も村上源氏を称している。

トップ画像は、村上源氏の北畠顕家。

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参加メンバー 23人

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開設日
2007年5月3日

3508日間運営

カテゴリ
学問、研究
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