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梅田雲浜

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詳細 2014年10月25日 01:11更新

梅田 雲浜(雲濱)(うめだ うんびん、1815年7月13日(文化12年6月7日) − 1859年10月9日(安政6年9月14日))は、幕末期の儒学者。通称は源次郎。名は義質、定明。号は雲浜のほか、湖南。

雲浜の号は、若狭国小浜海岸からの由来で名づけたという。小浜藩藩士・矢部義比の次男として生まれ、藩校・順造館で学んだ。1830年、藩の儒学者・山口菅山から山崎闇斎学を学び、その後、祖父の家系である梅田氏を継いだ。小浜で学んだ知識をもって、大津に湖南塾を開いている。1843年には京都へ上京して藩の塾である望楠軒の講師となる。

しかし1852年、藩主・酒井忠義に建言したのが怒りに触れて、藩籍を剥奪された。翌年、アメリカのペリーが来航すると条約反対と外人排斥による攘夷運動を訴えて尊皇攘夷を求める志士たちの精神的なリーダーとなった。しかしそれが時の大老・井伊直弼の安政の大獄で摘発され、二人目の逮捕者となってしまった。

捕縛後は京都から江戸に送られたが、取調べでも箒尻(ほうきじり)で全身を打たれる拷問においても何一つ弁明しなかった。そして、獄中で病死した。これには、拷問による傷の悪化による死因説もある。享年45。

雲浜は若い頃から貧乏生活だったため、精神力が強い人物だった。リーダーになった頃には同士もたくさんおり、貧乏ではなかったが、そのときの生活が彼の精神を強くし、多くの志士たちを引き寄せる基となったのであろう。

辞世の歌

君が代を おもふ心の 一筋に 我が身ありとも 思はざりけり

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