例えば男性が究極に相手の女性に落ちる瞬間・・・
それは女性が『貴方と終わりにしようと思うの』
と言われた瞬間
男は彼女を取り戻そうとあるいは手放さないですむようにあらゆる思考がめぐり彼女のことで一杯に溢れる。
彼女にして上げられなかったことを後悔し、彼女にしてしまった過ちを心から悔いる
今までにないほどの愛情や、欲情が沸き溢れる。
心から彼女を愛しと思う
しかし女性は『女心と秋の空』と言われるがごとく、
それまでの蓄積がリミットを越え、これ以上のエネルギーが残らない地点で別れを伝えているが故に、ほぼ後戻りはない。
ここで男性が究極の愛に陥っていることなど知る芳もない。
・・・・がここで戻ってきた彼女をどんなに男は愛しむことだろう、至上の愛で迎え入れることであろう。
これを『アート』のごとく演出しているのが『スワッピング』なるものであったりする。
他人に抱かれる自分のパートナーに無常の想いをよせ、二度とは戻らないはずである分かれた彼女が、自分の腕にその後抱かれる瞬間、まるで雷が振り下ろされたかのような、電流が全身を駆け巡る愛情が自身を貫く。
究極のセックスがここに始まる。
現代人は、大脳新皮質の発達により、元来本能ですべきセックスを脳でしようとしている。が故に機能の不全などトラブルが発生するのだ。
手を使ったり、口を使ったり仕舞いには機械に頼り始める。
これはまさしく脳に刺激を起こすために様々な手段を使い、脳で反応を使っているに過ぎない。
こんなものはリアルなセックスとは呼ばない。
欲しい男がいれば、欲しい女がいれば欲情し男は勃起し女は濡れる。
これがまさしく本能のセックスなのだ。
そしてこれが芸術なのだ。
作品は人が『作る』物ではないそこにあるものなのだ。
究極のエロティシズムを探訪していきたい。
また究極のエロティシズムを共有できる仲間を集いたいい。
SM・スワッピング・複数プレイ・野外プレイ・羞恥プレイ
などなど本能の開放を求める同胞を求む。