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穴穂部間人皇后

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詳細 2013年9月18日 00:10更新

 穴穂部間人皇后のコミュニティです。穴穂部間人皇后(あなほべのはしひとこうごう、生年不詳 - 推古29年(621年))は飛鳥時代の皇族。欽明天皇の皇女。母は蘇我稲目の娘小姉君。同母兄に穴穂部皇子。崇峻天皇は同母弟である。異母兄の用明天皇皇后となり厩戸皇子(厩戸王)、来目皇子、殖栗皇子、茨田皇子を生む。用明天皇崩御後は聖徳太子の異母兄、田目皇子に嫁し佐富女王を儲ける(『上宮記』による)。穴太部間人王、孔部間人公王、間人穴太部王、鬼前太后とも。
 用明天皇皇后であった時に、厩の戸口で後に聖徳太子と呼ばれる厩戸皇子を出産したという『日本書紀』の逸話は有名だが、これは中国に伝来したキリスト教の異端派である「景教」(ネストリウス派)がもたらした新約聖書の福音書にあるキリストの降誕を元にしたとの説があるなど、史実かどうかを疑われている。実際厩戸の由来は地名によるとの説もある。
 京都府京丹後市(旧丹後町)にある「間人(たいざ)」という地名は、穴穂部間人皇后にちなむものと伝えられている。穴穂部間人皇后は蘇我氏と物部氏との争乱を避けてこの地に身を寄せ、京に戻る際に自らの名を贈ったが、人々は皇后の名前をそのまま呼ぶのは恐れ多いとして、皇后が退座したことより「たいざ」と読むことにしたという。ただし、記紀などには穴穂部間人皇后が丹後に避難したとの記述はない。
 穴穂部間人皇后は、「はしひと」と言うだけあり、波斯人(はしひと)とはペルシャ人のことである。ペルシャ人の血が濃いとも言われる場合があり、皇后の母親の蘇我小姉君がペルシャ人だとか、蘇我稲目とペルシャ人女との間に出来た娘が蘇我小姉君だとされる説もある。そうなると皇后は、ペルシア人ハーフかクォーターだったことになる。皇后が育った場所は、奈良県天理市の石上(いそのかみ)の穴穂とされ、物部氏の土地であることから、皇后の母親は物部氏出身とされる説があり、蘇我小姉君は蘇我氏であって物部氏出身ともされる。同母弟に穴穂部皇子がおり、同じ穴穂部で育ったものと思われ、同じ名前を名乗っていることから、穴穂部皇子と穴穂部間人皇后は、姉弟以上の仲であったともされる。
 小姉君の子どもは蘇我氏であって蘇我氏とは対立関係にあり、小姉君の子どもは物部氏と強い関係がありそうである。穴穂部皇子は皇位の座を狙っていたとされるが、蘇我氏の崇仏と物部氏の神道とで、穴穂部皇子は神道寄りであったとの推測が出来る。
 なお、中宮寺は穴穂部間人皇后を祭った、日本で一番歴史と伝統のある尼門跡寺院である。

[中宮寺ホームページ]
http://www.horyuji.or.jp/chuguji.htm

[所在地]
 〒636-0111 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺北1-1-2

[アクセス]
 JR法隆寺駅下車。

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2007年3月25日

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