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和歌山歩兵第六十一聯隊三世会

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コミュ内全体

詳細 2017年1月17日 04:29更新

和歌山歩兵第六十一聯隊三世会は過去に
「ロクイチ」こと歩兵第六十一聯隊(通称号「淀4074」・秘匿名「中部24部隊」)
に所属していた方、又その親族や何らかのゆかりのある方の交流の場として設けたものです。
上記に該当しない方は参加を控えていただくようにお願いいたします。

歩兵第61連隊は明治38年日露戦争に動員編成され、第16師団隷下で満洲に出戦し、内地帰還後は第4師団の隷下に入り明治42年和歌山市を衛戍地と定められ、その徴兵区を県内とされ、郷土の連隊として昭和20年終戦に至るまで紀州健児の練兵に、或は、戦地第一線の勤務に服し、この間、昭和12年4月には満洲に派遣されて北辺の守りにつき、匪団を掃蕩して治安を確保し、第二次ノモンハン事件にも派兵され、次いで昭和15年7月中支に転じ、湖北省安陸方面に位置して漢水、予南、大洪山、江北、長沙の各作戦に参加してその名を高めた。
昭和16年12月、大東亜戦争に突入の直前には上海附近に在り、翌17年2月には支那大陸をはなれて比島に渡り、バタン・コレギドールの両作戦には師団の中核部隊として参加し、比島方面軍司令官本間雅晴中将より感状を授与されるの武功をたて、日米戦争の戦史にわが連隊の栄光を止めて一旦内地に復員し、さらに戦局苛烈を加えるのとき再び南方スマトラに進駐、間もなく連隊主力は選ばれてビルマに派遣され、インパール作戦の末期、印緬国境にいたり悲惨最悪の様思のもと前線に投入されて、印度マニプール藩内に進み、英印軍と戦果を交え、爾後第15軍後退作戦における至難なる後衛の任務を果たしたが、自然障碍のもと、兵員は疲労と病魔に襲われ大なる犠牲をだしたことはまことに痛恨の極みであった。
そして昭和20年8月、タイ国にて終戦となり翌21年6月内地に復員して解隊にいたる。(歩兵第六十一連隊概史『やたがらすのはばたき』より)


トップ画像解説

「ロクイチ」から陸軍習志野学校に分遣された三名の兵士達

撮影は昭和16−18年頃。
中央は管理人の祖父「藤春」昭和18年の南方派遣以前の一葉である。

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開設日
2007年3月19日

3721日間運営

カテゴリ
サークル、ゼミ
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