mixiで趣味の話をしよう

mixiコミュニティには270万を超える趣味コミュニティがあるよ
ログインもしくは登録をして同じ趣味の人と出会おう♪

ホーム > コミュニティ > 音楽 > スビャトスラフ・リヒテル

スビャトスラフ・リヒテル

スビャトスラフ・リヒテル

ログインして参加する

参加するにはログインが必要です。

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コミュ内全体

詳細 2016年11月28日 19:34更新

ロシアが生んだ名ピアニスト=
スビャトスラフ・リヒテルさんのコミュニティです。

リヒテルさんの演奏風景
(ショパンのエチュード作品10の4)

http://www.youtube.com/watch?v=t_5wiKSvYRg

《ロシア・ピアニズム》と姉妹コミュニティです。
こっちのほうは、参加していただいた方に
メッセージ送りませんので、ぜひ足跡帳に
ひことと残してくださいね。

●9月21日、ついに50名突破。

↓足跡帳です、ひとことよろしく!
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=2149543

【管理人の企画】
●MЕЛОДИЯ の リヒテル
 10枚組のCDの内容を紹介しています♪
□ 1枚目(バッハ)と2枚目(ベートーヴェン)
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=1968548
□ 3枚目(シューベルト)
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=2053696
□ 4枚目(シューマン)
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=2053747
□ 5枚目(シューベルト、ショパン、フランク
      &バルトーク)
□ 6枚目(ショパン、サン=サーンス&フランク)
□ 7枚目(ラフマニノフ)
□ 8枚目(リムスキー=コルサコフ、グラズノフ
      &プロコフィエフ)
□ 9枚目(チャイコフスキー&ムソルグルキー))
□10枚目(スクリャービン、ミヤスコフスキー
      &プロコフィエフ)

●リヒテルさんて、だれ?
          以下をお読みください。
■二つの文化の融合

スビャトスラフ(Святослав)は、純ロシア的な名前で、姓であるリヒテル(Richter Рихтер)は、ドイツ的・・・・リヒテルは、ドイツ人の父とロシア(ウクライナ)人の母のもとで1915年3月20日に、ウクライナのジトーミルという地方都市で生まれました。
 父方の祖父は、ピアノ職人。父は、ウィーン音楽院で学んだピアニストです。母は、ウクライナ地主に娘であり、ウィーンに留学し、ピアノを父に学んだことから、恋に落ちたのです。身分違いから反対にあったらしいですが、1914年ついに結婚。リヒテルはピアノそのものキューピットとなり、生まれた愛の結晶といえます。
 スビャトスラフを抱いて両親はピアノを背景に写真を撮ります。ブラームスとリムスキー=コルサコフの楽譜も一緒に。

■ピアノを独習?

 ピアニストとしての経歴は、普通ではありません。本格的にピアノを学んだのは、22歳にもなった1937年、モスクワ音楽院に入学し、ゲンリヒ・ネイガウスの指導を受けてからです。しかし、ネイガウスはリヒテルを天才と認め、「教えることはない」という立場でした。
 ではどこで?リヒテルは父の演奏を聴いて育ちました。そして、父への愛を終生いだいていました。しかし、父のドイツ的な厳格な練習を拒否。オデッサ音楽院の教授となった父のためいきが聴こえそうです。
 しかし、異常な初見能力を発揮して、劇場でピアニストとしてのバイトをし、17歳のとき、オデッサ・フィルハーモニーのピアノ伴奏者として正式に登録されました。19歳でショパンだけの初コンサートを開きました。そして、モスクワへでてネイガウスの門をたたいたのです。いきなり音楽院へ入ろうとするリヒテルを門前払いせず、聴こうとしたネイガウスの偉大さが光りますね。

■プロコフィエフとの出会い

 ネイガウスを介して、プロコフィエフと知り合い、その第6ソナタを演奏することになりました。これが、リヒテルを世に送り出すきっかけとなったのです。
 もともと学校嫌いであったため、音楽院では、一般科目の試験をボイコットし、三度も退学処分にあいます。その都度、校長ともなったネイガウスが必死にカヴァーして復学を果たすのです。父と面影が似ていると語っていたネイガウスは、実の父のような役割を演じていたのです。

■第二次世界大戦と悲劇

 リヒテルは、ドイツ人の父をもつために、力量がありながら、ソ連国内の主要都市には泊まることができず、転々と移動し、コンサートを行っていました。母とある男性との関係をめぐり、父はスパイの容疑をうけ、銃殺されますが、その事実はすぐにはリヒテルには知らされませんでした。母は、退却するドイツ軍とその男性とともに、ドイツへ逃亡します。

■幻のピアニスト

 リヒテルは国内では絶大な評価を受けていました。しかし、国外への演奏旅行はゆるされず、1959年に東欧へ、そして1960年にようやく西欧・アメリカへ出ることを許可されます。もっとも、リヒテルはアメリカは嫌いだったらしいですけれど。

■日本へは1970年
 
 ちょうど万博のときに初来日。それから何度も日本を訪れ、日本の文化への愛着ももっていたそうです。
 しかし、うつ病をともないながら心臓を病み、1995年、ゲルギエフ指揮でチャイコフスキーのピアノ協奏曲を演奏する予定は果たされることなく、モスクワで亡くなりました。

○リヒテルについてのサイトなど

私MR.BINが管理しているサイトです。
たいした中身はありませんが、HISTORY OF RICHTER=「リヒテル年表」は参考にしていただけると思います。
http://www.ne.jp/asahi/ponpoko/tanuki/

ディスコグラフィですが、二つのサイトが有益です。

?Paul Geffenさんがつくっているサイト
In Memoriam Sviatoslav Teofilovich Richter(1915-1997)http://www.trovar.com/str/

?Ates Taninさんがつくっているdiscography
RECORDED RICHTER Prepared by Ates TANIN
http://www.doremi.com/sr.html
DOREMIレーベルのサイトでもあります。
ここには、CD化されていないけれど、音源があるなどの情報も知ることができます。

コミュニティにつぶやきを投稿

トピック

参加メンバー 1330人

もっと見る

開設日
2005年6月5日

4200日間運営

カテゴリ
音楽
関連ワード
関連ワードを登録しよう

編集から関連ワードを登録すると、コミュニティがmixiワードに表示されるようになります!