平成12年に天王寺区下寺町の應典院で立ち上げた「いのち」について考える会。
妻子を病で亡くした代表世話人・大圓の思いから「生と死を考える会」として生老病死の苦を乗り越えた方々のお話を聞かせていただき、胸熱くし、明日もがんばるぞ、一生懸命生きるぞ、と感動していただけたらと思い続けています。
この会を通して釜が崎の野宿者支援にも関わり社会活動や海外支援活動の話を話題提供者から聞くことも多くなりました。
死から学ぶことは、いかに生を輝かせて生きるかということだと思いました。 死よりも生への視点が多くなり出しています。
妻子2人の死に直面して「2人の人生は何だったのか」「2人の苦しみは何か意味があったのか」「次の世で2人は元気に暮らしているのか」などの問いが、かってかけめぐっていました。
2人の早すぎる死、そして人生の意味を求めて学び、私の体験が社会の人々の役に立つようにと、感動した話、納得できた話を、縁ある方々に伝えてきました。
そして遺族の方、闘病中の方、人生を真剣に考えている方・・多くの方々とともに考え、歩みたいという気持ちになり、多くの話題提供者の方々のお話のあとでお互いの自己紹介や意見交換をする時間も作っています。
今、満ち足りて逆に生きる力を失っているこの時代に、いつか来る自分の死を見つめて、生きる意味、生きがい、自分の夢、さらに老いや病いといったものをこの会で語り合いたいと思っています。
1、8,12月を除く毎月第3木曜日18時半から21時まで應典院1階で開催。
話題提供者のお話の後に参加者との分かち合いの時間もあります。
参加費1000円。
【應典院】
〒543-0076 大阪市天王寺区下寺町1−1−27
TEL06−6771−7641 FAX 06−6770−3147
URL http://
最寄り駅: 谷町9丁目駅(地下鉄谷町線)?番出口より西へ徒歩8分
日本橋駅(地下鉄千日前線、堺筋線、近鉄)8番出口より東へ徒歩7分
(詳しい地図は應典院のホームページをご覧下さい)
【以下は「いのちと出会う会」について50回記念集会に際して、私の「いのちの風」通信に会の趣旨として書いたものです】
妻子の死に直面し「2人の人生は何だったのか」「2人の苦しみは何か意味があったのか」「次の世で2人は元気に暮らしているのか」などの問いがかけめぐりました。
第1回の「いのちと出会う会」に来ていただいた南吉一先生と、幸いにも6年前にご縁ができました。 南先生は枚方で「在宅ホスピスあおぞら」を主宰され、「終末期患者の在宅ケア」の支援を開業医としてされていました。
そして「あおぞら」の事務所で「終末期医療」などの勉強会を谷先生たちとされておられ、私も参加したのがすべての始まりでした。
ある時に南先生から「大圓君、大阪でもこのような勉強会をしてはどうか」と問いかけがあり、既にご縁があった應典院の秋田住職さんに相談しました。
秋田さんもそのような会を作りたいと思っておられて意気投合しました。 「いのちと出会う会」の命名は秋田住職でした。
当初は「生と死を考える会・天王寺支部」のような内容にするつもりでした。 昔は死を語ることはタブーでした。
しかしE・キューブラ・ロスの著書「死の瞬間」が出版され、「生と死を考える会」のアルフォンス・デーケン教授の「死の準備教育」などによって、死を語ることが市民権を得ました。
もう死について考えない、縁起が悪いという時代ではありません。 人は死に向き合った時に真に自分の人生の意味や生きがいについて振り返り見るのではないでしょうか。
現在では死は病院死が圧倒的になってしまい、日常生活で大事な死を見る機会が隠されています。 今回のJR事故を見ても、人生いつ何が起こるかわかりません。
まさかの時の人生での危機管理の心構えとして死を考えることは、自分の人生観や死生観を築く上で大事だと考えます。 愛しい人の死と向き合うことで自分自身と向き合うことになるのです。
この趣旨で始まり最初は、医療や生と死の問題が多かったのですが、この会を通して釜が崎や野宿者支援に関わりだしてから幅が広くなってきました。 そして国内外で社会活動をされている方々もお招きしました。
この会で皆と本来の「生老病死に関わるいのち」について考えました。 また今このように日本国民として恵まれた生活をさせてもらっているのは、過去の日本の祖先のおかげと思い「日本のいのち」へも関心がわきました。
またこの恵まれた生活は自然の恵みの中で生かさせていただいていることから「自然のいのち」にも感謝する姿勢となりました。
日本は世界の中で孤立して生きることはできません。 世界の運命は日本の運命でもあります。 恵まれている日本と恵まれることの薄い国々やそこに住む子供たちの運命。 その「世界のいのち」にも深い一体感を感じます。
私たちが生かされている陰には多くの「いのち」があります。 私たち一人の「いのち」を超える「大いなるいのち」への目覚めが大事ではないかと考え始めました。
今まで「いのちと出会う会」で話された49名の話題提供者の方々の「いのち」。 その話の中で語られた多くの「いのち」の姿。 そしてそれらを聴かせていただいた参加者という多くの「いのち」。
様々な「いのち」の交響曲が「いのちと出会う会」の中で奏でられてきました。 これからもこの響きを日本中の人々に伝えていきたいと思っています。
またここで死の準備教育や死生観といったものを学ぶうちに、私はますます自分の存在の意味を考えるようになりました。
「妻子を失ったことの意味するものとは?」「私は誰?」「私はどこから来てどこへ行くのか?」「なぜ今ここに生きているのか?」「今この時代、この国に生きている意味は何か?」・・。
そのような問題意識を日本国民の多くが心に持ち行動すれば、この国をすばらしい国に再建できると思い始めました。
またそのような思いを伝えるために「いのちの風」という通信を全国に発信し始めました。 またこの会を発信基地として「国直し」しようと呼びかけています。
妻が亡くなる5日前の日記に震える手で「元気になったら、お世話になった方々に恩返しをしていくんだ!」とあります。
私の活動は妻の代わりに世間に恩返しするものです。 そして2人が後ろから押してくれていたおかげで、ここに到れたと感じ、心から妻子に感謝する次第です。
以下の「千の風」の「風」が、私の「いのちの風」通信の「風」の意味です。 風は神の息吹であり、地球の呼吸であり、魂であり、人と地球との一体化を意味するものです
千の風
「私のお墓の前に立って、
涙を流すのはやめてください
私は、そこにはいないのですから
私は、眠ってなんかいないのですから
私は、千の風になって吹き渡っています
私は、雪の日にはダイヤモンドダストとなって
きらめいています
私は、太陽の光となって豊穣の穀物を照らしています
私は、秋には穏やかな雨となって降り注いでいます
あなたが、朝のしじまのなかで目覚めるとき
私は、鳥になって、静寂の帳(とばり)を
空高く舞い上げています
そして、夜には優しい星となって輝いています
だからどうか 私のお墓の前に立って、
泣くのはやめてください
私は、そこにはいないのですから
私は、死んでなんかいないのですから」
これを書きました「いのちの風」のホームページはまだ立ち上がっていませんが、以下のリンク・ホームページに過去の通信と私の体験談が載っていますので、お手数ですがお開きくださったら幸いです。
【リンクのホームページ】
【1】 大学時代の友人の原裕君が私の「いのちの風」通信をホームページ風にして、最近のものを載せてくれましたのでご覧下さい。
ここに大阪駅前の炊き出しと清掃のスタッフのうちの5人と野宿のオッチャンたちとの集合写真と掃除の様子が最近載せてもらいました。 ご覧下さい。
ときどき写真作動させてもエラーが出て写真の連写20枚ほどが出ないときがありますが、ほかの1,2、などをクリックして画面変更している間に修復されます。
前列の右端の白いレインコートを着ているのが私です。 前列左の赤い服を着ているのがイギリスでチベット系の仏教教団に入って、今大阪で伝道や瞑想などの修行としている女性です。その隣が寝袋配りの相棒です。
掃除している姿の白い服を着ている中年女性は釜が崎のカレーの炊き出しの常連スタッフの方です。 また写真を写してくれている人は我々のスタッフの一人で梅田で会社を経営されている女性社長です。
このお2人がいつも掃除が終わった後に野宿のオッチャンたちに熱い湯を運んできてくれてコーヒーを作ったり、お菓子などを配って労をねぎらい駅前喫茶店風の雰囲気を作ってくれています
また「4、最近の活動」には踊り子大圓が、踊りの出場を前にして踊っとる写真の連写が載っています。 目がつぶれないように。
彼も今日mixi仲間になりました。 どうぞよろしく。
「いのちの風」通信
http://
【2】 通信仲間の紫陽花さんがご自分の「縁の花」のホームページに私の通信の古いものを載せていただいています。
全部は載っていませんが、パソコンになってからのもの95%は載っています。 また新しい通信がその都度少し経ってから掲載されます。 お時間がありましたらご覧ください。
なお内容が見られない古い? のものがありますが、その分は私に直接ご請求下さい。 送信いたします。
「縁の花」は本物情報をもつ方々の紹介や、精神世界、歴史や科学などの大変な量の情報配信を長い間されています。 ぜひ見る価値がありますのでご紹介いたします。
【石黒大圓情報 「縁の花」支縁サイト】
http://
【3】 昨年東京の友人を通じてご縁をいただいた方の霊園会社のホームページに、私の体験談を載せていただいています。
美原ロイヤル・ニュース (平成16年冬季号 VOL.8の3ページ目) 「【シリーズ】別離の哀しみを乗り越えて 人と人との魂の絆に気づいて 野宿者救済運動を始める」 釜が崎の炊き出しの写真とともに私の体験と考えが掲載されています。 http://
(上記【3】の内容を短くまとめて、あるロータリークラブの月報に載せてもらったのが以下です。
『私は大阪・船場で父の代からの衣料卸業を営んでいました。 しかし平成元年に五歳の次男を、9年に妻を49歳でともにガンで亡くすという転機が次々訪れました。 その後会社を閉め、商店街の事務局の仕事に関わるようになってから、数々の社会活動が始まりました。
2人の死に直面して、「2人の人生は何だったのか」「2人の苦しみは何か意味があったのか」「次の世で2人は元気に暮らしているのか」など問いがかけめぐりました。
2人の早すぎる死、そして私たちの人生の意味を求めて学びつづけました。 私の体験が社会の人々の役に立つようにと、天王寺区下寺町の應典院で「いのちと出会う会」という「生と死を考える会」も立ち上げました。
また生老病死のいのちや野宿者支援、そして愛国の思いを綴った「いのちの風」通信も毎週知人200人に送信して日本再生をめざしています。 ここに到るまでには亡き2人の導きがあった、2人は死んではいなくて、今も私の中で生きて働いてくれていると感謝しています。
平成11年春のある夜、商店街の路上でオヤジ狩りに会いました。 殺されるかと思いましたが、その後の左肩の打撲痛の方がひどく半年間苦しみつづけました。 ある日その痛みがふと取れていると感じた時に、どっと涙があふれました。
痛みのないのが「当たり前」のように暮らしてきた。 その前の痛みのない日々がどれだけ「恵み」に満ちたものだったことか。 妻子がそばにいることが、この腕が動くこと、毎日食事ができること、仕事があること、当然のことと思っていたことが「当たり前」ではなく、「天から恵み」そのものであると知ったのです。 それらがなくなった時どれだけつらい思いになるか。
妻子を亡くし、腕の痛みを体験してから学んだものは、人間の本質とは霊であり、人間だけでなく生きとし生けるものすべてに魂があり、お互いに結び付けられている。 神と人は一体であり、宇宙のすべてとも心の底でつながっている。 この考え方は日本の古来からの伝承にもあり、日本人の魂の復興にもつながる考え方と思いました。 そしてこれこそ生老病死に苦しむ人々の心が救われる福音(うれしい知らせ)だと考えたのです。
その学んだ福音とは。
「人は死んでも終わりではない。 人はこの人生でのすべての出来事を起こるべくして起こるように、前世で設計して生まれてきた。 だから偶然というものは人生にはない。 人生はすべて思い通りでないからこそ価値がある。 どのような苦しみにも意味があり、無意味な人生はない。 そして多くの試練を経験することにより、人は心の修行をして魂の向上をはかり、最後はもといた次の世界へ旅立つ。 人は自分で父母を選んで生まれ、生まれる日も死ぬ日も選んでくる。 死は不運でもなく突然来るものでもなく、自分の選んだ日に予定通りにやって来る」。
今、大阪で1年間に200人のおもに野宿者が路上で亡くなっています。 それを聞いた時、妻子の姿と重なりすぐに動きました。 5年ほど前から野宿者支援にかかわっています。 釜が崎に出入りして炊き出しを手伝い、今は毎週月曜夜9時から大阪駅前南口でおにぎりや衣類を野宿者に配っています。 真冬にはカンパで集まった金で寝袋を買い、大阪市内の冷たい路上で寝ている人々へ寝袋を届けています。 4年間で約4000個配ることができました。
当たり前のように恵まれて暮らさせてもらっている陰には恵まれない人々がいます。 闘病していた、かっての私たち家族もそうでした。 妻が亡くなる5日前の日記に震える手で「元気になったら、お世話になった方々に恩返しをしていくんだ!」とありました。 私の活動は2人が生きている間にいただいていた、この恵みへの恩返しを本人だけでなく他の人々へも、妻子に代わって行なっていくものなのです』
【別に立ち上げているコミュニティ】
「いのちの風」
http://
「野宿者・炊き出し・釜が崎・清掃」
http://
「神州正氣の會 応援団」
http://
「伊藤博文」(管理人交代の後を継ぎました)
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【お勧めコミュニティ】
「ラジオ深夜便(こころの時代)」
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「應典院ファン倶楽部」
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「キリストの幕屋」
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