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福岡 ダイエー・ホークス

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詳細 2014年7月29日 18:15更新

●ソフトバンク・ホークスも当然応援するけれど・・やはり“福岡ダイエー・ホークス”の『FDH』の略語が妙に愛おしいのだ。好きだったなぁ……否、いまでも十二分に愛おしいゾ!!!

そう、お思いになりませんか?ご同輩。・・・僕なぞ時折夢寐で、「いざゆけ若鷲軍団」をMaxで歌っております(笑)

しかしぃ・・応援歌をそのまま継承するのはいいけれど、SBの企業名のところの字余りは・・戴けない(汗)


●[いざゆけ若鷹軍団](涙)

玄界灘の潮風に 鍛えし翼たくましく
疾風の如く颯爽と 栄光めざし 羽ばたけよ
いざゆけ無敵の若鷹軍団
いざゆけ炎の若鷹軍団
我らの 我らのダイエーホークス

ペナント競うグランドに 闘魂燃えて敵を撃つ
一投一打火を吐きて 白球熱き嵐呼ぶ
いざゆけ無敵の若鷹軍団
いざゆけ炎の若鷹軍団
我らの 我らのダイエーホークス
(勝どき上げろ!!)
(勝どき上げろ!!)

力の限り戦わば 勝利は常にここに有り
輝く空に感激の チャンピオンフラッグ翻れ
いざゆけ無敵の若鷹軍団
いざゆけ炎の若鷹軍団
我らの 我らのダイエーホークス



※いやぁ・・美しいなぁ(笑)


★福岡 Daiei Hawks(F.D.H) 沿革


1988年11月1日、南海電鉄はホークスの名を残すことと杉浦の留任を条件に、球団をダイエーに売却。関西国際空港開業に伴う難波再開発事業を推し進め、不採算の球団を売却しようとする南海側と、福岡再開発事業の目玉に球団を保有し、九州を核とした商圏拡大を目論んだダイエー側の思惑が一致したためであった。
大阪市では売却に対し反対運動も行われたが(関西地区においても、今でもホークスファンが少なくない。その点に関しては後述)、チームの本拠地は福岡市・平和台球場に移され球団名も福岡ダイエーホークスと改められた。新天地となる福岡は、南海と覇権を激しく争った西鉄ライオンズ(→西武ライオンズ)の本拠地だっただけに、福岡のファンに受け入れられるか心配されていたが、10年ぶりのプロ球団設置に地元では歓迎ムードの方が大きかった。もっとも移転後ダイエーがしばらく下位低迷を続けたこともあり、今のような圧倒的人気という訳には行かずスタンドには空席が目立つことも多かった。また、当時の西武との対戦では西武ファンの割合が多かった。
なお、この年は近鉄バファローズに13勝11敗2分け、オリックス・ブレーブスに12勝13敗1分け、西武ライオンズに11勝13敗2分けと上位球団と互角に戦い、最終的に1位と3位の勝率が2厘差というパ・リーグ史上最大の混戦を演出する立役者となった。さらに準本拠地・北九州市民球場では7戦して全勝(特に最初の主催ゲームとなった4月20日は吉田豊彦の完投で、オリックスの開幕連勝を8で止めている)しており、ファンの間では「北九州不敗神話」と言われた。
1990年から田淵幸一が監督に就任。しかし同年はチーム成績6位、1991年5位、1992年4位と戦力の底上げをすることができず田淵は辞任した。この年を最後に平和台球場から撤退。


1993年、根本陸夫が監督に就任。この年史上初の開閉式屋根を有するドーム球場として福岡ドームが完成するも、新本拠地での初年度は打線が福岡ドームでのホームゲーム60試合でわずか18本塁打しか打てず、また投手陣も平和台時代の惨状が改善されないまま最下位に転落。現状打破に向け同年11月に佐々木誠・村田勝喜・橋本武広との交換で西武ライオンズから秋山幸二・渡辺智男・内山智之を獲得する大型トレードを成立させ、日本中を驚かせた。更に翌1994年には西武からFAで石毛宏典・工藤公康も移籍した。西鉄時代の本拠地だった関係で当時の福岡にはライオンズファンも多かったが、ライオンズから多くの主力選手を移籍させることにより、これらのファンをホークスファンとすることに成功した。なお、南海時代の1978年からこの年まで16年連続シーズン負け越しで、これは国鉄時代の1962年から1976年までのヤクルトスワローズの15年連続を更新した日本プロ野球ワースト記録である。
1994年、初めて優勝争いに加わり、快進撃を見せるも、わずかの差でAクラスを逃す。しかし、南海時代の1977年以来17年ぶりに勝ち越した。同年オフのドラフト会議では、城島健司を1位指名した。
1995年から王貞治が監督に就任、現在に至る。
1996年5月9日に日本生命球場で開催された近鉄バファローズ戦で敗北した後、日頃の采配を疑問視されていた王の乗ったバスがファンから生卵をぶつけられるという事件が発生した。この年は大不振で、この日で9勝22敗と大きく負け越しており、結局この年は最下位に終わった。なお、本試合は同球場最後のプロ野球公式戦であった。また、この年で南海時代から19年連続Bクラスとなり、それまで広島東洋カープが保持していた連続Bクラス日本記録(1950年から1967年までの18年)を更新した。
1997年、日本ハムファイターズと同率の4位に終わり、20年連続Bクラスでかつ4位以下。連続4位以下の記録は近鉄バファローズの1950年から1968年までの19年連続を更新する日本プロ野球ワースト記録となった。
1998年、オリックス・ブルーウェーブと同率の3位に入り、南海時代から続いていた連続Bクラスの記録は20年で止まる。ただし前年度(1997年)の順位がオリックスの2位に対しダイエーは4位だったため、翌1999年の本拠地開幕権を獲得できなかった。
1999年、福岡移転後初のリーグ優勝。このとき,シーズン終了直前まで総得点が総失点を下回り,史上初の珍事かと話題になったが,最終的には総得点が上回った。さらに日本シリーズでは星野仙一率いる中日ドラゴンズを4勝1敗で下し、日本一。キャプテン秋山幸二が2本の本塁打とファインプレーでシリーズMVPを獲得。秋山は西武時代の1991年にも日本シリーズMVPを獲得しており、史上初の2球団での日本シリーズMVP獲得者となった。ちなみに球団の地元、北九州地区でRKB毎日放送で中継された1999年10月28日の第5戦は、ビデオリサーチ調べで平均視聴率47.1%(RKB毎日放送史上1977年・1978年の日本レコード大賞に次ぐ歴代3位)、瞬間最高視聴率71.6%という驚異的な数字を記録した。
2000年、リーグ2連覇。日本シリーズは長嶋茂雄率いる読売ジャイアンツとの対戦で「ON対決」と騒がれたが、2勝したのち4連敗で敗れた。
2002年5月14日と5月15日、台湾の台北市立天母棒球場で行われた対オリックス・ブルーウェーブ戦で、日本のプロ野球の公式戦としては戦後初となる台湾での試合が興行された。しかしその後失速、優勝した西武に16.5ゲーム差をつけられる惨敗を喫する。(台湾での蒸し暑い気候から一転、次のカード(長野)で気温1ケタ間近という寒さの中での試合が、多くの選手に同時に不調をもたらした原因ではないかと見られている。) 同年、秋山が現役引退。
2003年、前年まで21年連続で負け越していた西武にも勝ち越し、リーグ「完全優勝」(全球団への勝ち越し)を達成。その後、阪神タイガースとの熾烈な日本シリーズを制し、4勝3敗で2度目の日本一を達成した。また、史上初の100打点の選手が4人(井口資仁、松中信彦、城島健司、ペドロ・バルデス)の「100打点カルテット」が活躍した。
2004年はシーズンを1位で通過しながら、同年から導入されたプレーオフで西武の前に2勝3敗で敗れ、優勝を奪われた。レギュラーシーズンの活躍と打撃三冠王を評価されてチームの主砲松中信彦がリーグMVP、抑え投手として活躍した新人王に三瀬幸司が輝き、ベストナインにも4名が入った。
2004年10月、秋山が2軍監督として復帰。


2004年10月13日、ダイエーが自主再建を断念し、産業再生機構への支援を要請。機構側が「国営ホークスになることは無い」と語ったことから球団の売却が濃厚になる。11月30日、ソフトバンクが球団を総額200億円で買収すること等を正式発表。同日付で日本プロフェッショナル野球組織への加盟申請を行った。12月24日、加盟申請(球団譲渡)がプロ野球オーナー会議で承認され、翌年1月28日にダイエーの保有する球団株式(所有割合98%、残りの2%は中内正前オーナーが継続保有)をソフトバンクが50億円で譲り受けることになった。これと同時にソフトバンクとホークスタウンは、営業譲渡と合わせ20年間の福岡ドーム使用契約を結んだ。1年間の球場使用料は48億円となる。また同日付けでコロニー・キャピタル傘下のホークスタウンが所有する興行権を150億円で取得する営業譲渡契約を締結することで合意した。
同日、ソフトバンクは新チーム名福岡ソフトバンクホークスとロゴマークを発表。また、次項に掲載しているマスコットや球団の応援歌などについてもダイエー時代とほぼ同じものを採用することを合わせて発表した。


●[福岡ダイエーホークス Digital 博物館]
http://sotokotos-monbasa.de-blog.jp/photos/taka/


●FDH全成績

1989年 4位
1990年 6位
1991年 5位
1992年 4位
1993年 6位
1994年 4位
1995年 5位
1996年 6位
1997年 4位
1998年 3位
1999年 1位(日本一)
2000年 1位
2001年 2位
2002年 2位
2003年 1位(日本一)
2004年 2位(レギュラーシーズン1位)

●歴代監督

杉浦忠(1989)
田淵幸一(1990-1992)
根本陸夫(1993-1994)
王貞治(1995-2004)

●永久欠番

15番(藤井将雄)が準永久欠番扱いとなっている。

●主力在籍選手

投手
間柴茂有(1989-1990) 藤本修二(1989-1990) 西川佳明?(1989-1990) 山内孝徳?(1989-1992) 村田勝喜(1989-1993) 井上祐二(1989-1994) 加藤伸一(1989-1995) 吉田豊彦(1989-1998) 杉本正(1990-1993) 本原正治(1990-1993) リー・タネル?(1991-1993) 池田親興(1991-1994) 下柳剛(1991-1995) 木村恵二(1991-1998) 若田部健一(1992-2002) 足利豊(1993-1997) 渡辺正和(1993-2004) 渡辺秀一(1994-2001) ボビー・シグペン(1994-1995) 吉田修司(1994-2004) 工藤公康(1995-1999) 斎藤貢(1995-2000) 藤井将雄(1995-2000) 吉武真太郎(1995-2004) ホセ・ヌーニェス?(1996-1997) 松本輝(1996-2004) 岡本克道(岡本劼能)(1996-2004) 山崎慎太郎?(1997-1999) 永井智浩(1998-2004) 西村龍次(1998-2001) 長冨浩志(1998-2002) ロドニー・ペドラザ(1999-2002) 寺原隼人(2000-2004)
捕手
吉田博之?(1989-1990) 内田強(1989-1993) 安田秀之(1989-1995) 吉永幸一郎(1989-2000) 内之倉隆志?(1990-2003) 中居殉也(1991-1995) 坊西浩嗣(1991-2003) 城島健司(1995-2004) 田口昌徳(2002-2004)
内野手
トニー・バナザード(1989-1990) ウィリー・アップショー(1989-1990) 森脇浩司(1989-1996) 小川史(1989-1996) 藤本博史(1989-1998) 湯上谷宏(湯上谷隼屐法1989-2000) 柳田聖人(1989-1990,1996-2000) 脇坂浩二?(1990-2000) 水上善雄(1991-1992) マイク・ラガ?(1991-1992) 西俊児(1991-1995) 浜名千広(1992-2001) 松永浩美(1994-1997) ブライアン・トラックスラー(1994) 小久保裕紀(1994-2003) 石毛宏典(1995-1996) 井口資仁(1997-2004) ルイス・ロペス(1998) 鳥越裕介(1999-2004) フリオ・ズレータ(2003-2004)
外野手
佐々木誠(1989-1993) 岸川勝也(1989-1994) 広永益隆(1989-1994) 山本和範(カズ山本)(1989-1995) 山口裕二(1989-1997) 若井基安(1989-1999) 大道典良(大道典嘉)(1989-2004) 島田誠(1991) 門田博光(1991-1992) 大野久(1991-1994) 村松有人(1991-2003) 大越基(1993-2003) ケビン・ライマー(1994-1995) 秋山幸二(1994-2002) スコット・ライディ?(1996) ライアン・トンプソン(1998) メルビン・ニエベス(1999-2000) ペドロ・バルデス(2001-2004) 宮地克彦(2004)

※“Wikipedia”及び“はてなダイアリー”から抜粋いたしました。

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2007年3月9日

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