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反広告活動、広告批判

反広告活動、広告批判

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 誰もがTVを無料で見ていると思い込み、また、思い込まされているが、それは虚妄にすぎない。主な民放の収入源は、作り出した番組というソフトによる収入ではなく、広告枠の収入であり、その商品である。広告枠を買った企業によって宣伝される商品の価格には、この代金とCM制作費が含まれている。現在、大企業のCM制作費は一本1億円を軽く超える。有名タレントの出演料だけで数千万円が使われている。消費者が無料でTVを見るためには、そのTVで放送されているCMの商品をひとつも購入しないことが必要条件となるが、それは不可能だろう。われわれは少なくとも年間数十万円の広告費を見えない税金のように、強制的に払わされている。誰もそんなことを頼んだ覚えもないのに。

 都市空間において人が一日に目にする広告は数百とも言われ、われわれはあらゆる誘惑の言葉に漬け込まれ、どこにいついても広告に触れなければならない。広告はそれ自体が競争を煽るとともに、また、競争原理によって巧妙に、あたりさわりなく、そして時に暴力的に、消費者に訴えかけ、商品の購入を促進する。「物より思い出」とか、「プライスレス」という言葉によって示されるように、広告はその売ろうとする商品よりも、その商品のかもし出す雰囲気や、その商品を通しての関係性や物語を強調し、商品がささやかな裏方に回っているように見せかけるが、実際はその手段がなければ目的=「思い出」や「プライスレスな関係性の享受」が達せられないことを暗に強制し、やんわりと脅迫する。

 資本主義社会の論理と道徳は、幸福と豊かさであり、広告はこの二つのイメージを徹底して作り上げる。まるでその商品さえ手に入れれば、人は幸福になり、豊かさの中にで安眠できるかのように。しかし、商品とそのイメージである広告が作り上げるのは、豊かさと幸福のイメージであり、記号と空虚な物語にすぎない。それらを手に入れれば幸福であり、豊かになるのであるなら、この物とイメージに満ち溢れた社会が、幸福であり、豊かでなければならない。にもかかわらず日々繰り返されるニュースのほとんどが豊かさと幸福から程遠いのはなぜだろうか?

 ある意味でそういったニュースは広告の作り出す豊かさや幸福を引き立てるスパイスであり、保険や安全といった商品を売り出すための動機付けでさえある。不幸な、まったく不条理な犯罪のあとにセコムのCMが流されれば、人は関心を持たずに入られない。ニュースはこの世界を最低で最悪、絶望にどっぷり漬け込まれたように見せておいて、その反動で幸福や豊かさというCMを飾り立て、商品の作り出したイメージに人を閉じ込める。

 こういった悪循環こそがこの資本主義社会の商品運動空間の根底にあり、人はこの全体的な豊かさ、幸福、そしてその対置物である、絶望、犯罪、恐怖、不安の対立項の二つをジェットコースターのように激しく行き来し、不安になり、時にまったりと幸福に身を浸し、再び戦争や犯罪、恐慌の恐怖に不安になるという強制的な振り子となっている。そしてこの振り子の振りを強化するのがニュースであり、広告である。広告は悪意のない悪意であり、善意に満ち満ちた幸福と豊かさの、イメージの監獄にすぎない。

 われわれはこの悪循環を断ち切るために、あらゆる広告から開放された解放区の建設を提案する。公共的空間における広告の全体主義的作用に対して、われわれは広告に反対する広告を打ち出し、AFS(AD FREE SPACE)の部分的な拡大の権利を主張する。また、われわれは有害な広告に対してあらゆる批判と反対の広告を打ち出すだろう。禁煙の空間が社会的に必要とされるように、あらゆるCMによる、幸福と豊かさの強制と誘惑から拒絶された空間を、われわれの真の精神的健康と理性的な安穏のために作り出さなければならない。われわれはここに広告批判の広告と、反広告の広告を開始する。これはそのための第一の広告である。

開設日
2005年05月26日
(運営期間4141日)
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