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択捉島

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詳細 2016年2月28日 23:46更新

占守島
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国後島
http://mixi.jp/view_community.pl?id=1820170

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

択捉島(えとろふとう)とは、千島列島南部に位置し、ロシア連邦の実効支配下にあるが、日本政府は第二次大戦終結後、旧ソ連軍の侵略により不法占拠された日本の固有の領土であると主張している。日本の領土として見た場合北海道根室支庁に所属する日本最北端の島であり、本州・北海道・九州・四国に次ぎ、5番目に大きい島である。アイヌ語ではエト・オロ・プ(『岬のある所』の意)と言う。現在実効支配を行っているロシアでは、国後島や色丹島とは別の行政単位のサハリン州クリル管区に属している。アイヌ語でイトゥループと言い、ロシア人も国際標記もアイヌ語に従っている(ロシア語:о.Итуруп)

概要
国後水道(ロシア名エカチェリーナ海峡 пр. Екатерины)を隔てて国後島の北東に並列する。

面積3185.65km2、人口6956人(2004年1月1日現在、ロシア統計より)。本州、北海道、九州、四国の四島を除いたどの島よりも大きく、沖縄本島のおよそ2.7倍ある。択捉島最北端のカモイワッカ岬は、北緯45度33分28秒、東経148度45分14秒の位置に在り、日本政府が領有権を主張する領域内では日本最北端の地である。

太平洋戦争の真珠湾攻撃を行った南雲忠一中将率いる機動部隊が出撃直前、最終集結した単冠湾(ひとかっぷわん)がこの島の中央部にある。
ソ連崩壊後に続いたロシアの経済不振と1994年に発生した北海道東方沖地震の影響から、人口は減少傾向にあった。
だが、ソ連崩壊後、ユダヤ系ロシア人のアレクサンドル・ベルホフスキーが創業した水産加工のギドロストロイГидрострой社(本社はユジノサハリンスク)が、周辺の豊富な水産資源と北米の冷凍食品市場とを結びつけて、めざましい成長を示し、択捉島の経済基盤は強固なものとなった。同社は現在、別飛(ロシア名・レイドヴォ Рейдово)に日産400tの加工が可能な大工場を持つほか、蓄積した豊富な資本を元に択捉銀行БАНК "ИТУРУП"を設立、金融業にも乗り出した。しかし、日本政府が領土問題がらみで規制を行っているため、日本企業はこのビジネスチャンスに公式には協力できていない。
また、北部の茂世路岳(クドリャブイ火山)は、その火山ガスに、レアメタルであるレニウムを大量に含有している。このため、ロシア科学アカデミーの科学者たちは、レニウムの世界有数の産出源になり得る火山として茂世路岳を見なしている。
インフラ整備では、2015年を目標年次とするロシア政府のクリル開発計画によって、中心都市のクリリスク(紗那)の近くに新空港が建設されることとなっている。
北方領土に投資をさせず、経済的に困窮させて日本への返還を誘発しようという日本政府の戦略は、すくなくとも択捉島に関する限り、完全に行き詰っているといってよい。
歴史
アイヌが先住していた。18世紀後半のロシアに対抗し、幕臣近藤重蔵は「大日本恵土呂府」の木柱を立て、北辺の防備開拓に当たった。また蝦夷を直轄地にし、高田屋嘉兵衛に航路を開かせ商場択捉場所を開設した。ロシアと日本の領土変更時も一貫して全域が日本に属すると日本側は主張してきた。
択捉島には北海道二級町村制が施行されたときに択捉郡留別村、紗那郡紗那村、蘂取郡蘂取村の3郡3村が設置され、紗那村の中心地である紗那が同島の中心地となって、警察署などの官公署が置かれた。現在も日本の制度上は、この3郡3村は存続している。 

ロシアによる占領・実効支配
太平洋戦争終戦間際、日本軍の戦闘行為終了(1945年8月15日)から降伏文書調印(同年9月2日)までの期間に当たる同年8月28日にソ連軍が同島を占領し、それ以降はソ連の構成国であったロシア・ソビエト連邦社会主義共和国とその後継国家であるロシア連邦による実効支配が続いている。
かつての中心地紗那は、ロシア名クリリスク Курильск(「千島の町」の意)として、引き続き択捉島の中心地となっている。なお、留別はロシア名クイビシェフ(Куйбышев)・蕊取はロシア名スラブノエ (Слабное)というロシア人集落となったが、両村とも現在廃村状態であり、現在の択捉島には島の中心部にしか集落は存在していない。島の南部や北部は自然保護区域として地元のロシア人でさえも立入を制限されている。

(なお、2006年に新バージョンとなったGoogle Earthは択捉島の写真の半分以上が高解像度画像化され、その解析によればクリリスクからスラブノエまでは相当の悪路と思われ、途中の川には橋もなく、自動車で川を渡らなければならないような道路とはいえ道路もあり、走行する自動車も認められる。また、スラブノエには漁業施設と思われる建物も数軒認められる。)

交通アクセス
北海道本土から択捉島
戦前は、中心集落であった紗那(クリリスク)まで定期の船便があったが、戦後は、北海道本土から択捉島への定期公共交通は、船便・航空便ともに存在しない。北海道本土から島に直接渡る場合は、「ビザなし交流」に参加し、チャーター船で根室港から出発、クリリスク(紗那)に入港する。「ビザなし交流」の場合であっても、チャーター船がロシアが主張する領海に入ると、国際航路を通行する船舶の慣例によってロシア国旗をマストに掲げ、また、クリリスクに到着後は、ロシアの税関当局による入域審査を受ける。なお、このチャーター船の利用は、旧島民、その子孫、ならびに返還団体から推薦された者等に限定され、一般の日本人は自由に利用することができない。
サハリン(樺太)から択捉島
現在の択捉島にアクセスする定期公共交通は、ロシアが実効支配する南サハリン(樺太)を拠点に運行されている。ユジノサハリンスク(豊原)空港からはサハリン航空のプロペラ機が週4便(月、水、木、金、いずれも午前発)、択捉島留別村のブレヴェストニク空港(旧天寧空港)まで就航している。しかし、有視界飛行であるため、霧がかかりやすい夏季には欠航となる確率が相当に高い。また、この空港は、戦前の日本の海軍飛行場を改装したロシア軍基地と共用になっており、中心都市のクリリスクから砂利道を自動車で片道2時間半かかる不便な場所にある。

また、コルサコフ(大泊)港からは、サハリンクリル海運の貨客船「イゴール・ファルハトディノフ」号が週2便出発している。この船は、月曜日にコルサコフを出帆、火曜日に択捉島、水曜日に色丹島ならびに国後島に寄港、木曜日にコルサコフ帰着、金曜日にコルサコフ発、土曜日に国後島と色丹島、日曜日に択捉島に寄港、月曜日にコルサコフに戻るというスケジュールで、3月〜12月まで運航される。

一般の日本人・外国人が択捉島を訪問するには、ロシアのビザでまず稚内または函館からサハリンに渡り、ユジノサハリンスクにて択捉島への入境許可証を取得後、サハリンから空路または海路でアクセスすることになる。この方法は、北方領土においてロシアの主権に服する行為であるとして内閣が1989年以来自粛を要請しているが、この自粛要請に法的強制力は無い。

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