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星 一(ほし はじめ)

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詳細 2013年2月11日 18:17更新

作家・星新一の父であり、近代薬学へ多大な貢献をした星薬科大学の創始者の星一先生のコミュニティです。

星一は、明治6(1873)年、福島県に生まれた。苦学して東京商業学校を卒業し、「勇気が成功を生む」ことの大切さを自覚、20歳で自由の地アメリカへ渡り、念願のコロンビア大学で経済学と統計学を修めた。12年間に及ぶ滞米期間中に、薬局で薬を買うことによって病気を軽いうちに治す習慣を身につけた星は、帰国後、社会奉仕可能な事業として製薬を始めることを決意、寝る間を惜しんで研究を重ね、ついに“イヒチオール”という湿布薬を販売するに至った。この薬の爆発的な人気と収益を基に、明治44(1911)年、星製薬株式会社を創立、社内に本学の前身である教育部を設置した。星は斬新な発想と行動力で次々と新製品を開発し、会社は順調な成長を遂げた。

 第一次大戦終結後、星は科学技術の最先進国ドイツの窮状を知り、明治維新後、多くの日本人が学んだドイツに恩返しができたらと、義援金を募るが思うに任せず、私費で援助を決断した。大正8(1919)年〜14(1925)年までの7年間、政争に巻き込まれて事業が傾いたが、自宅を抵当に入れてまでも送金を続けた。その総額は、現在の邦貨に換算して優に20億円を超える。一重に、日本がドイツから多く学ばせてもらったことへの感謝と科学技術の危機を救いたいとの思いからのことである。星の援助により、後年、ノーベル賞を受賞する2人をはじめ、多数の研究者が活路を開かれ、今日のドイツ科学の礎を支えたといわれている。

 星の科学に対する熱意はとどまるところを知らず、会社創立時に社内に設置した教育部は、薬学関係者を集めての星薬業講習会へと発展した。さらに、星の社会奉仕精神に基づく「疾病で悩む人々に健康を与え、幸福と平和をもたらす人材を育成したい」との願いは、星製薬商業学校、星薬学専門学校へと規模を拡大し、後の大学の母体となった。星製薬商業学校では、製造から販売に至るまでの薬のあらゆる知識に加え、政治・社会・商業道徳などを教授、ここに「世界に奉仕する人材の育成」、「親切第一」を教育方針に掲げた、現在の星薬科大学の基礎が築かれたのである。

略歴

* 1894年(明治27年):東京商業学校(現在の一橋大学の前身ではない)を卒業。高橋健三らの知遇を得る。アメリカへ渡る。
* 1901年(明治34年):コロンビア大学を卒業。
* 1906年(明治39年):湿布薬「イヒチオール」の事業化に成功。
* 1908年(明治41年):衆議院議員選挙に立候補し、当選。無所属で独自の活動を行う。
* 1911年(明治44年):星製薬を設立。五反田に当時としては画期的な近代的製薬工場を建設。ホシ胃腸薬のヒットや日本で初めてキニーネの製造をするなど発展し東洋一の製薬会社と言われるほどになる。
* 1918年(大正7年):SF小説『三十年後』発表。
* 1921年(大正10年):星製薬商業学校を設立。
* 1925年(大正14年):阿片令違反で起訴される(その後無罪判決)。解剖学者小金井良精の次女、せい と結婚。
* 1926年(大正15年):長男・親一が誕生(後の星新一)。
* 1937年(昭和12年):衆議院議員に2回目の当選。
* 1945年(昭和20年):星製薬は空襲で主力工場を破壊され、敗戦で海外拠点を失うが、再建に努める。
* 1946年(昭和21年):衆議院議員に3回目の当選。
* 1947年(昭和22年):第1回参議院議員選挙全国区に最高得票で当選。
* 1951年(昭和26年):ロサンゼルスにて永眠。星製薬は息子の親一が継いだが既に経営は傾いており、親一は会社を手放して、後に日本を代表するSF作家星新一となる。

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開設日
2007年2月1日

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カテゴリ
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