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Fashion Draping

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詳細 2016年5月23日 18:25更新

Draping...

ボディや人体に布地を直接かけ目的とする衣服のデザインを仕上げる技術のことである。衣服(立体構成=洋服)を新しくデザインする場合には欠かす事のできないものである。

ドレーピングは未知なる可能性である。

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マドレーヌ・ヴィオネ:Madelaine Vionnet

1876年、フランスのオーベルビリエに収税吏の娘として生まれた。バイアスカットの開発者。

8歳で義務教育を終え、12歳からクチュール店で見習い奉公。18歳で結婚したが間もなく離婚しイギリスに渡った。ロンドンでは紳士服店のアトリエで修行をつみ、後にチーフとなる。

5年後の1901年に帰国し、パリのキャロ姉妹のメゾンに入った。このとき、ジェルベール夫人から創作のコツを学び、1907年には、ドゥーセ(Jacques Doucet)のメゾンでモデリストとなった。36歳の1912年、パリのリボリ街に店を持ったが、第1次世界大戦中は閉店し、戦後の1919年に再開した。

22年、百貨店ギャルリ・ラファイエットの援助によって、モンテーニュ通りの大邸宅を購入して移転、40年にメゾンを閉じるまで、パリ最大のメゾンの一つとして君臨していた。20年代・30年代を通じての活躍はめざましく、ファッション界に影響を与えつづけた。

20世紀を代表するデザイナーといわれるのは、服装の近代化に尽したからである。1920年代から日本の着物や古代ギリシャ風ドレスにインスパイアされ、それを立体的な裁断によって独自のスタイルに作り上げた。30年代以後は、バイアス裁ち(バイアスカット)の創始、脇明きも前明きもない簡単に被って着るドレスの考案、ドレスとコートの裏を共にするアンサンブルのアイデアなどを生みだした。これらは、今のファッションにも受けつがれている。

創作にあたっては、実物1/4大の小さな木製人形に布をかけ、布の経糸と緯糸が交差する仕組みを物理的に活かし、裁断をしながらデザインを進める手法(ドレーピング=立体裁断)を採っていた。これは、デザイナーの誰にも真似ができなかったといわれている。

20世紀初頭には、前世紀のコルセットが女性から反発されるようになり、新たな服が要求されていた。そのもとで、シャネルがジャージーで服を作ることを検討していたが、ヴィオネは布を斜めに使うことによってストレッチ素材以前に布の伸縮性を最大限に引き延ばすことを考案したのである。このようにみれば、ヴィオネの偉大さが明確であろう。

彼女が好んで用いた生地はクレープ、クレープデシン、サテンなど。有名な作品には、多様なドレープ、ホールター・トップ、前や後ろの思い切ったデコルテ、ハンカチーフ・カットのスカート、アール・デコ調の刺繍などがある。

第2次世界大戦前に店を閉じた後は、パリ16区のアパートでアール・デコ調の調度品に囲まれ、バレンシアガのドレスを着て余生を送った。彼女のモデリング法は、弟子のマルセル・ショモン、キャルパンチエ、ジャック・グリフらが継承、ボディコンシャスを宣告したものとしてアライアら数多くのデザイナーにも計り知れない影響を与えた。レジョン・ドヌール・シュバリュ章受章。75年、パリで死去。

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バレンシアガ:BALENCIAGA

クリストバル・バレンシアガ(Cristobal BALENCIAGA)。1895年1月21日、スペインのサン・セバスチャン、ゲタリアに生まれる。1908年頃、カサ・トレス公爵夫人のパリのスーツをリメイクした服を作る。才能を認められ、マドリードの仕立て屋で修業。
  15年、サン・セバスチャンに仕立屋を開設。16年、21歳で独立し、公爵夫人の援助で自身の店を開店。19年、パリ オートクチュール・コレクションに初参加。20年、マドリードに支店を開店。
  36年、スペインに内乱があり、パリへ移る。37年、パリのジョルジュ・サンク通りにメゾンを設立。同年秋、パリ プレタポルテ・コレクションに初参加。
 39年、ウール生地で「黒いドレス」のシリーズを発表。45年、四角い肩に狭めたウエストラインの服を発表。51年、パレルラインのスーツを発表。53年、香水「ロー・フレッシュ」を発表。54年、iラインのドレスを発表。55年、チュニックドレスを発表。57年、ベビードール・ルック等を発表。58年、サックドレスを発表。同年、レジョン・ドヌ−ル勲章を受賞。67年、スクエアショルダーのスーツを発表。
 1968 S/Sコレクションの後、5月革命の影響で香水部門を除きパリ店とバルセロナ店を閉鎖。
  72年、スペインのヴァレンシアにて死亡。
  女性服の革命者ポール・ポワレに師事し、「シンプル&エレガンスの父」エドワード・モリヌーの影響を受けたクリストバル・バレンシアガは、完璧な縫製技術によるシンプル且つ芸術性の高いスタイルで「クチュールの建築家」とも称され、立体裁断や身体に密着しないシンプルなデザインは、洋服の大量生産の基礎となった。そのシンプリシティはアドルフォ・サルディーニャ、ユベール・ド・ジバンシー、アンドレ・クレージュ、エマニュエル・ウンガロ等、数々の名デザイナーに影響を与え、「モードの巨匠」とも謳われた。
  1993 S/Sから1997-1998 A/Wまでアントワープ王立芸術アカデミー(Academie Royale des Beaux-Arts d'Anvers / Royal Academy of Fine Arts Antwerp)出身のジョセフュス・メルキオール・ティミスターがプレタポルテのデザインを担当。1998 S/Sより、ニコラ・ゲスキエールがチーフデザイナーを務める。
  2001年、ジャック・ボガールSA社の手を離れ、グッチグループの傘下に入る。

現デザイナー
  ニコラ・ゲスキエール(Nicolas GHESQUIERE)。1971年5月9日、フランスに生まれる。ひげが濃く彫の深い、鋭い顔つきの男性。最終学歴は外国語と文学のバカロレア(フランスで大学入学資格に相当する国家試験)。コリンヌ・コブソン、アニエスベー等での見習いに始まり、91年から2年半、ジャン・ポール・ゴルチエのニット部門でアシスタントを務める。その他、ティエリ・ミュグレー、ステファン・ケリアン等でアシスタントを務めた後、95年、バレンシアガに迎えられ、1998 S/S よりチーフデザイナーを務める。同時期の97年5月、単年契約でトラサルディのチーフデザイナーに就任。99年、カラガンのデザイナーに就任。
  実際にバレンシアガの服を見たことは無いらしく、モダンでシャープな手法で伝統を継承するという自分なりの解釈でクチュールメゾンを引っ張っている。

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マダムグレ
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2007年1月31日

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カテゴリ
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