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矢沢頼綱、矢沢頼康

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詳細 2014年9月17日 23:13更新

真田幸隆、昌幸、信幸、信繁など真田家を支えた矢沢親子。


矢沢薩摩守頼綱(綱頼)―真田幸隆の弟。

若い頃出家し京都鞍馬の僧となるが、程なく郷里に戻って還俗し、兄幸隆に属して武田信玄に仕える。信州勢先鋒として活躍したが、兄幸隆が亡くなり、そして武田氏滅亡に伴なって甥の信綱、昌輝が相次いで亡くなると、同じく甥の昌幸に従って上野岩櫃城を攻略し城代となった。その後独立勢力となった真田氏の中心人物として、小那淵城、名胡桃城、小川城の諸城を攻略。さらに沼田城も攻略し城代となるなど貢献した。

矢沢但馬守頼康(頼貞)―矢沢頼綱の子。

若い頃より沼田城代であった父に従い、天正期には既に城代をまかされていたとの記述もある。
天正12年(1585年)に昌幸の子幸村が上杉景勝の元へ人質に出される際には警護として随伴。上杉氏からの援軍を得て、徳川家康との神川の戦いでは大久保忠世らを散々に蹴散らす活躍を見せた。
関ヶ原の戦い後には当主となった信之に仕え、大坂の陣では信之の代わりに出陣した子(信政、信吉)らを補佐した。出陣にあたって、信之は頼康に「何事も油断なく、間に入って頼み入り候」と書き送っている。

頼康に子はなかったが、弟の頼邦が後を継ぎ、その後子孫は代々松代藩家老職を担って真田氏を支えた。

参考資料:ウィキペディア、真田太平記

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2007年1月30日

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