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バロン西(西竹一)

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詳細 2016年12月7日 01:24更新

西 竹一(にし たけいち、1902年7月12日 - 1945年3月22日)は、大日本帝国陸軍の軍人。男爵。ロサンゼルスオリンピック馬術競技の金メダリスト。戦車第26連隊長を務め、硫黄島の戦いで戦死した。
西竹一は、西徳二郎男爵の三男として麻布にて生まれた。父・徳二郎は外務大臣や枢密顧問官などを歴任し、駐清公使時代には義和団事件処理に当たった人物であった。1912年に徳二郎が死去し、その跡を継ぎ男爵となる。徳二郎は義和団事件の処理の際、西太后から信頼を厚くされシナ茶の専売権を与えられ巨万の富を手にしたといわれている。

学習院初等科を経て、1914年4月、府立一中(現日比谷高校)に入学。3年次に府立一中を中退し、1916年9月、広島陸軍幼年学校に入学。1924年、陸軍士官学校卒業(第36期)。さらに陸軍騎兵学校を卒業。

1930年にイタリアで愛馬ウラヌス号に出会う。ウラヌス号は陸軍から予算が下りず自費での購入であった。ウラヌス号と共にヨーロッパ各地の馬術大会に参加し、数々の好成績を残す。さらに陸軍騎兵中尉時代の1932年に参加したロサンゼルスオリンピックでは、ウラヌス号を駆って馬術大障害飛越競技に優勝して金メダルを受ける。これは日本が馬術競技でメダルを獲得した唯一の記録である。この時のインタビューに「我々(自分とウラヌス号)は勝った」と応じ、当時の日本人への敵愾心を越えて世界の人々を感動させた。西はバロン西(Baron=男爵)と呼ばれ欧米、とりわけ社交界で人気を集めた。

男爵・西家の嫡子として車を趣味にもし、性格も至って鷹揚、天真爛漫サッパリし、いわばネアカであったと生前に交流のあった人たちは証言する。軍人にして髪も長髪、コンバーチブルを愛用し、ロサンゼルス滞在中はそれを乗り回し、当時のアメリカの著名な映画俳優達との友好が話題となった。また当時の天皇を極端に神格視する風潮には批判的で、宮城遥拝の際にも頭を下げることはなかったという。そうした行状が災いしてか陸軍内で反感を買い、騎兵第1連隊から第16連隊、十勝の陸軍軍馬補充部十勝支部、満州・牡丹江戦車第26連隊長と配属になり、最後には硫黄島に異動させられたとも云われている。生前、「自分を理解してくれる人は少なかったが、ウラヌスだけは自分を分かってくれた」とも言っている。

1936年のベルリンオリンピックに参加したが競技中落馬する。これは主催者のドイツが自国に有利に障害物を設置したためと言われている。この後は本業の軍務にもどる。当時は騎兵が削減され、代わって戦車連隊が設置されていた時期であり、西も戦車第26連隊長として北満州防衛の任に就く。

1944年に硫黄島へ赴任するが、その行路、父島沖にて米潜水艦の雷撃を受け戦車共々輸送船は沈没。8月、戦車補充のため一旦東京に戻り、川崎財閥の御曹司で親友であった川島大次郎の車を借用して駆け回っていた。その折、馬事公苑で余生を過していたウラヌスに会いに行き、ウラヌスは西を見るや喜んだという。1945年、硫黄島の戦いにて、小笠原兵団(第109師団)直轄部隊として戦車第26連隊の指揮をとることとなった。硫黄島においても愛用の鞭を手にエルメスの乗馬靴で歩き回っていたという。万部落付近にて展開していた戦車連隊司令部は、戦端が開かれた当初、東地区に移動、地形状の関係から一部戦車の砲塔を取り外し砲台代わりに使用するなどし、米軍中型戦車・シャーマンM4戦車と撃滅戦を演じた。3月17日に音信を絶ち、3月21日払暁、兵団司令部への移動の為敵中突破中に機銃掃射を受けた為、銀明水、双子岩にて副官と共にピストル自決したとも、もしくは3月22日、アメリカ軍の火炎放射器で片目をやられながらも、数人の部下らと共に最期の突撃を行い戦死したともいわれている(詳細は不明)。ただウラヌスの鬣、乗馬靴と鞭を身につけ宮城(もしくは本土)の方向に体を向け死に赴いたことは確かであるとされている。またその1週間後、ウラヌスも死去した。死後、一階級特進により陸軍大佐となる。西の死により息子の西泰徳は昭和生まれでは唯一の授爵者(男爵)となった。

西が死ぬまで離さなかったウラヌスのたてがみが、1990年、アメリカにおいて発見され、現在では軍馬鎮魂碑のある北海道・本別町の歴史民俗博物館に収められている。
硫黄島の戦いで西の率いた戦車第26連隊は玉砕することとなったが、攻撃したアメリカ軍は『馬術のバロン西、出てきなさい。世界は君を失うにはあまりにも惜しい』と連日呼びかけたが、西大佐はこれに応じなかった。というエピソードが伝えられている。これは後世の創作(アメリカ軍が、硫黄島守備隊に西が参加していると云う事実を事前に知り得る事はありえない)であるという意見もあるが、西の旧知の映画人でB-29の搭乗員であったサイ・バートレット陸軍大佐(en:Sy Bartlett)が米軍制圧後の硫黄島に降り立った際に拡声器を用いて西に投降を呼びかけたという証言もある。もっとも彼が硫黄島に来た頃には西は既に戦死しており、旧友の呼びかけが本人の耳に届くことはなかったであろう。バートレットは昭和40年に西の未亡人を東京に訪ね、靖国神社において慰霊を行っている。
(Wikipediaより引用)

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