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石橋湛山研究室

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このコミュニティは石橋湛山の思想についての勉強会を目指しています。
ご自身で研究された情報、また既に出版された湛山についての評論や評伝などから、あるいはそれに対して言及することで、さらにその思想がいま現在も有効であることを確認したいと思います。

日中関係を始めとして北東アジアの外交問題が思うに任せない状態に陥っている現下の状況を鑑み、そこにどのような解決策を模索し得るのかを、石橋湛山を例にとって学びたいと思います。

石橋湛山に関する研究書はそれほどありふれているわけではないので、情報交換などもここで同時に出来ると嬉しく思います。

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大正10年7月23日号「社説」

我が国の総ての禍根は、しばしば述ぶるが如く、小欲に囚われていることだ、志の小さいことだ。 吾輩は今の世界において独り日本に、欲なかれとは註文せぬ。 人汝の右の頬打たば、また他の頬をも廻して、これに向けよとはいわぬ。 否、古来の皮相なる観察者によって無欲を説けりと誤解せられた幾多の大思想家も実は決して無欲を説いたのではない。 彼らはただ大欲を説いたのだ、大欲を満たすがために、小欲を棄てよと教えたのだ。 さればこそ仏者の「空」は「無」にあらず、無量の性功徳を円満具足するの相を指すなりといわれるるのだ。 しかるに我が国民には、その大欲がない。朝鮮や、台湾、支那、満州、またはシベリヤ、樺太等の少しばかりの土地や、 財産に目をくれて、その保護やら取り込みに汲々としておる。 従って積極的に世界大に、策動するの余裕がない。 卑近の例を以ていえば王より飛車を可愛がるへぼ将棋だ。 結果は、せっかく逃げ廻った飛車も取らるれば、王も雪隠詰めに会う。 いわゆる太平洋および極東会議は、まさにこの状況に我が国の落ちんとする形勢を現したものである。

・・・中略・・・

しかり、何もかも棄てて掛るのだ。これが一番の、而して唯一の道である。 しかし今の我が政府や、国民の考え方では、この道は取れそうにもない。 その結果はどうなるか、わかっておる。 対支借款団交渉の際の満蒙除外運動の結末が、それだ。 我が大使は、しきりに、その小欲の目標物を維持しようと努めるだろう。 しかし結局は維持し得ない。而して日本は帝国主義だ、我利我利だという悪名だけが残る。 満蒙除外運動の結末がそれだった。今度の会議の結末もそれなること明白だ。 されば今の我が政府や国民の考え方で進んだのでは、どこまで行っても勝味はない、失敗に失敗を重ねるだけだ。

・・・中略・・・

もし政府と国民に、総てを棄てて掛るの覚悟があるならば、会議そのものは、必ず我に有利に導き得るに相違ない。 例えば満州を棄てる、山東を棄てる、その他支那が我が国から受けつつありと考うる一切の圧迫を棄てる、 その結果はどうなるか、また例えば朝鮮に、台湾に自由を許す、その結果はどうなるか。 英国にせよ、米国にせよ、非常の苦境に陥るだろう。 何となれば、彼らは日本にのみかくの如き自由主義を採られては、世界におけるその道徳的位地を保つを得ぬに至るからである。 その時には、支那を始め、世界の小弱国は一斉に我が国に向って信頼の頭を下ぐるであろう。インド、エジプト、ペルシャ、ハイチ、 その他の列強属領地は、一斉に、日本の台湾・朝鮮に自由を許した如く、我にもまた自由を許せと騒ぎ立つだろう。 これ実に我が国の位地を九地の底より九天の上に昇せ、英米その他をこの反対の位地に置くものではないか。 我が国にして、一たびこの覚悟を以て会議に臨まば、思うに英米は、まあ少し待ってくれと、我が国に懇願するのであろう。 ここに即ち「身を棄ててこそ」の面白味がある。遅しといえども、今にしてこの覚悟をすれば、我が国は救わるる。 しかも、こがその唯一の道である。しかしながらこの唯一の道は同時に、わが国際的位地をば、従来守勢から一転して 攻勢出でしむるの道である。




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略歴
石橋湛山(いしばし・たんざん)
 1884年 9月25日〜1973年 4月25日(88歳)

1884年9月25日、京都府生まれ。
早稲田大学卒。
1911年、東洋経済新報社入社。後主筆。
『東洋経済新報』に連載された社説『大日本主義の幻想』などを始めとする『小日本主義』という思想を打ち出し、当時最もリベラルな言論人の一人として論壇で異彩を放つ。

戦後自由党に入党。
第1次吉田茂内閣で蔵相・安本長官・物価庁長官などに就任するものの、1946年4月の衆議院選挙後に鳩山一郎らと共に公職を追放される。
1951年8月の公職追放解除後は鳩山派に所属。

1953年3月に自由党を離党。自由党(鳩山自由党、または分派自由党などと呼ばれる)を結成に参加。
その後、一時は自由党に復党するも再び離党。
1954年4月、芦田均・岸信介らと共に新党結成促進協議会を結成。

同年11月に日本民主党の結成に参加。同年12月に発足した第1次鳩山一郎内閣に通産相として入閣。第3次鳩山内閣総辞職まで通産相を務める。1956年12月、鳩山総裁の引退に伴う総裁公選で総裁に選出される。
同月、国会で指名を受け内閣総理大臣に就任するが、1957年1月、病を得て1957年2月に総辞職。
その後病気も回復し議員生活を続けるが、1963年11月の総選挙で落選。

主要外交評論:
『我れに移民の要無し』
『好戦的態度を警む』
『青島は断じて領有すべからず』
『第二の独露たる勿れ』
『日支新条約の価値如何』
『露国の平和促進運動如何』
『極東外交の新局面』
『不出兵を中外に明示せよ』
『大戦の齎せる思想の変化』
『人種的差別撤廃要求の前に』
『対支強硬外交とは何ぞ』
『統帥権の要求は議会制度の否認』
『満蒙問題解決の根本方針如何』
『満蒙新国家の成立と我国民の対策』
『日支衝突の世界的意味』
『果して帝国主義戦争か』
『「暗澹たる倫敦交渉」ほか』
『日本は対支援助を共同にすべし』
『何故に日英提携を主張する』
『支那は戦争を欲するか』
『政府は重ねて対支政策を具体的に声明すべし』
『日米通商条約の破棄』
『独逸の背反は何を訓えるか』
『領土縮小の不利益』など

財団法人 石橋湛山記念財団
http://www.ishibashi-mf.org/index.html

石橋湛山賞(東洋経済新報社)
http://info.toyokeizai.co.jp/award/tanzan/

開設日
2005年05月04日
(運営期間4166日)
カテゴリ
学問、研究
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