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田淵 幸一

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詳細 2017年2月17日 06:47更新

☆田淵 幸一☆

阪神タイガースの前チーフ打撃コーチである。
星野前監督とは、学生時代からの親友でありライバルでもある。
「うねり打法」で、和製大砲「濱中おさむ」を育てる師匠でもある。
そして、三代目「ミスター・タイガース」と呼ばれた伝説の男でもある。
現役時代のポジションはキャッチャーであった。
それまでのキャッチャーと言えば、ズングリ体型が多かった。
そこに現れた身長186センチ、90キロの長身キャッチャー。
座ったままサイドスローで、2塁へ走る走者を刺す強肩。
初キャンプで左翼場外の椎木を越す圧倒的な長打力で「夢の大型捕手」と言われた男でもある。

【プロフィール】 
1946年9月東京都生まれ。右投右打。捕手。背番号22(阪神・西武)。法政一高から法政大へ進学し、山本浩二・富田勝とともに法政3羽ガラスと呼ばれる。
 大学通算22本塁打はそれまでの長嶋茂雄の8本を14本も抜く、驚異の新記録となる。
 1970年にドラフト1位で阪神に入団。
 1年目は打率.226ながら22本塁打を放ち、新人王に選出される。
 4年目に初めて30本台に乗せて34本塁打を放ち、球界を代表するホームランバッターに成長する。
 しかし、V9時代のONと活躍の時期が重なったため、阪神では優勝を果たすことはなかった。
 1974年には自己最高の45本塁打を放ったものの、王貞治が49本で13年連続本塁打王になり、惜しくも2位となった。
 1975年にようやく43本塁打で王の33本に10本差を付けて王の14年連続本塁打王を阻止するとともに田淵自身最初で最後となる本塁打王を獲得。
 1979年にトレードで西武に移籍。
 1982年には25本塁打、1983年には30本塁打を放って西武の2連覇に貢献。1983年には正力賞を受賞。
 1984年限りで現役引退。
 捕手という厳しいポジションながら、恵まれた体格を生かした力強いスイングで、他の選手には見られない高くて美しい弾道のホームランを量産した天性のアーチストである。

 通算成績:実働16年 打率.260、474本塁打(歴代10位)、1135打点、1532安打。本塁打王1回(1975)ベストナイン5回(1972〜1976)

【黄金のバッテリー】
田淵の最大の持ち味は、高々と舞い上がり、スタンドに深々と舞い降りていく美しい本塁打。その虹のような美しさに、人々は「天性のアーチスト」と呼んだ。
 田淵は、阪神に入団したとき、2歳年下の江夏豊は既に阪神のエースだった。春のキャンプで初めて江夏の剛速球を受けた田淵に江夏は「球を捕るときにミットが動いている。それでは際どいコースがボールと判定されてしまう」と指導。田淵は、その日からミットを動かさずに江夏の剛速球を受けるため、左手を集中的に鍛える。
 それは思わぬ効果を生んだ。左腕を強化したせいで、外角の球をいとも簡単に美しい弾道でスタンドまで運べるようになったのだ。江夏が投げて田淵が援護する。オールスター9連続奪三振のときのバッテリーでもある。プロ野球史上に名バッテリーは数多くあれども、総合力なら彼らが最強のバッテリーだろう。

≪猛虎伝説≫
http://mixi.jp/view_community.pl?id=1721075

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