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大阪(上方)寿司も頂きます

大阪(上方)寿司も頂きます

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Updated 2013.元旦
現在、大阪(上方)寿司は、戦前に比して、量的には少なくなっています。
しかし、握り寿司が全国を席巻したのは、戦後でここ半世紀です。
それまでは、大ざっぱに言えば、全国中、大阪寿司(保存を主体の寿司)が
ほとんどでした。
理由の第一は、太平洋戦争前から行われていた食料統制法にあります。
当時は、コメが自由にならず、寿司屋は死活問題でした。食料統制が厳しくなって、東京に4000件もあった寿司屋の多くが廃業したそうです。
終戦後も統制が持続される中にあって、東京で営業していた関西出身の八木輝昌を中心とした有志がGHQと交渉して起死回生の妙案を取り付けました。
それは「お客が持参した米1合を握り寿司10個と交換し(店では食べさせない)寿司屋はタネなどの代金と加工賃を得る」という委託加工制でした。
しかも、この許可制の対象は、江戸前握り寿司に限られたのです。
このため、全国の寿司屋が、生き残りの為に同様の握り寿司をせざるを得なくなり、結果、押し寿司、なれ寿司、ちらし寿司が中心であった上方寿司は減少していきました。

歴史的に見ると、寿司は生か保存の二種類です。
中国から寿司の大元(元祖)が来ました(現在の寿司の原型はコメを食べずに
ネタを保存食とした)もので、その記録は「養老律令西暦(700年代)」や
「古事記(712年)」に登場します。
現在の、コメも一緒に食べる寿司となった時代は定かではないのですが、
記録的には1400年代(室町時代)だそうです。
しかし現実は、そのころ全国各地で様々な形態でコメ(シャリ)も食べる、
たとえば、チラシ寿司などで存在したであろうと想像されます。それは、全て現在で言われる関西寿司で、握りが考案されたのは、今から200年前後前(1800年代)というのが定説です。
ですから、保存食傾向が強い寿司と、握りが代表の保存でない寿司の二種が寿司の基本分類となります。その意味では、長い時代、寿司は全国的に近畿方式・上方寿司であったといえます。
さらに、50〜60年前、その中でも特に、一部の押し寿司を「大阪(上方・関西)寿司」と指すようになったと、解釈されています。

私がこの関西に来てから40年。この間、国内だけでなく、国際的にも寿司は大変化を遂げました。世界を席巻している一般に寿司と呼ばれる品は、関東方式の握り寿司ですが、先に述べましたように、上方の流儀が遙かに(千年は優に)先輩です。せっかく関西に住んでいますから、上方(大阪)の伝統的な押し寿司である箱寿司や姿寿司、こけら寿司なども頂いております。腹持ちがとっても良いです。

みなさまも、是非、ときには握りでない箱寿司などを頂きながら、日本独自の寿司の成り立ちに思いを馳せてはいかがでしょう。 Cool Japanese Sushi.

開設日
2005年04月26日
(運営期間4176日)
カテゴリ
グルメ、お酒
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88人
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