東御市にある海野宿を盛り上げるために立ち上げました。
海野宿の流れ
1625年(寛永2年)に、北国街道の宿場として、江戸幕府によって設置された。
宿場町開設以前は、海野郷や、海野庄などと呼ばれ、真田幸隆の父とされる、海野一帯を統治していた豪族である海野家の領地であり、真田氏の出身地とされる所である。
海野宿には、本陣1軒と脇本陣2軒が設けられ、佐渡の金の江戸までの輸送、 善光寺までの参拝客や、北陸諸大名の参勤交代などで利用され、 非常に賑わいをみせていた。
現在でも本陣、脇本陣、問屋、旅籠などの跡が残っている。
昭和61年には、「日本の道100選」に、昭和62年には、「重要伝統的建造物群保存地区」に選定を受けている。
また明治時代には信越本線の駅の設置が計画されていたが中止になった。 しかし、また最近になってしなの鉄道線の新駅、海野宿駅の設置が計画されている。
海野宿好きなみなさん集まってください。