羽柴秀吉による備中高松城水攻めの最中、天正10年6月2日に、京都で本能寺の変が起こり、織田信長が死去しました。
その報を知った秀吉は、備中高松城主清水宗治の切腹を条件に城兵を助命する講和を結び、6月4日、宗治は城兵と主家毛利家のため、水上で自刃します。
後に秀吉は小早川隆景に会うとこの話を持ち出し、「宗治は武士の鑑であった」と絶賛したそうです。
そんな戦国武将清水宗治に興味のある方、是非語り合いましょう。
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◆清水宗治web
(清水宗治についての詳細な情報を載せているウェブサイト)
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◆多田土喜夫『備中高松城主 清水宗治の戦略』
(中小企業診断士の著者による清水宗治の研究書)
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