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源融と嵯峨源氏

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詳細 2016年11月16日 14:47更新

嵯峨源氏とは、嵯峨天皇の子で源姓を賜り臣下に下った人々。中でも紫式部『源氏物語』の主人公の美青年の光源氏の実在モデルといわれる従一位大納言、左大臣の源融(みなもと・の・とおる)を初祖とする嵯峨源氏がもっとも有名で、後世に子孫を伝えているのも融流嵯峨源氏である。
嵯峨源氏も代が重なると都での栄達の途はなく、中下級貴族となり、新天地を求めて地方に下り武士となることが多くなる。

■摂津・渡辺氏
源融のひ孫で関東に下った源宛(箕田宛)の子の源綱を祖とする。
渡辺綱は幼少の頃に父の宛が死んだため、母方の里の摂津国渡辺村(大阪市中央区)に住み、渡辺綱(渡辺源次綱)と名のる。清和源氏の源頼光の舅でもある仁明源氏の源敦の養子となり、源頼光の義弟にして四天王筆頭となる。大江山の鬼(酒呑童子)退治説話が有名。また綱は、融ゆずりの美男子だったともされる。
渡辺氏は、宮中警護の滝口武者の一族であり、大江御厨などの中央官職を相続し、摂津国住之江浜(大阪湾)で行われた天皇の清めの儀式(八十嶋祭)に奉仕した。
配下の渡辺党と呼ばれる武士団は、源頼光の子孫で大内守護の源頼政の郎党となり、また瀬戸内海の水軍を統括する棟梁となる。
渡辺姓の子孫としては、徳川家康に仕えた「槍の半蔵」こと渡辺守綱の渡辺氏がもっとも有名で、他に毛利氏家臣、豊臣氏家臣に渡辺姓の者がいる。
また、現在の大阪市内にある座麻神社や露天神社(お初天神)の宮司は、渡辺綱の子孫と伝える。

■肥前・松浦氏
松浦は「まつら」といい、渡辺綱の孫の渡辺久(渡辺源次久)を祖とする。久は、肥前守となって西下した源頼光に同行して松浦郡筒井村に住んだ渡辺綱が奈古屋村で生んだ源授(奈古屋授)の子。
渡辺久(源久)は、松浦郡宇野御厨の荘官となり、松浦に所領を持ったことから松浦久と名のる。検非違使に補され、従五位下に叙された松浦久は、源太夫判官と称して松浦郡、彼杵郡の一部及び壱岐郡を治め、配下の武士が北九州の水軍松浦党となる。
松浦姓の子孫としては、長崎の平戸藩主の松浦氏があり、松浦党の中の下松浦の庶孫とされる。

■筑後・蒲池氏
源融の孫の源是茂の子孫という。嵯峨源氏は一字名で有名だが、是茂は光孝天皇の養子となったため二字名である。源是茂の子孫で、従五位下として肥前国神崎の天皇家直轄荘園の荘官として下向した源満末の孫で、源平合戦では松浦党と共に戦い、その功により筑後国三潴郡の地頭となり蒲池村に住んだ源久直(蒲池久直)を祖とする。
承久の乱の時、反幕府側の後鳥羽天皇方の武家となり、乱後は一族滅亡の危機に瀕し、松浦氏の源圓(松浦源三圓)が娘婿として継ぐ。以降、松浦党として元寇の時も出陣するが、南北朝初期には南朝方にあり、合戦で男子が絶え、同じく南朝方の筑後宇都宮氏の宇都宮久憲(蒲池久憲)が婿養子として名跡を継ぎ、以降は、宇都宮党蒲池氏となる。戦国時代は筑後国に嫡流と庶流を合わせると2万町(20万石)という勢力を持ち、蒲池氏16代目の柳川城主の蒲池鑑盛(蒲池宗雪)が筑後筆頭大名となる。
蒲池姓の子孫としては、上記の蒲池鑑盛の三男の蒲池統安の子孫になる蒲池法子こと歌手の松田聖子が有名。

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