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田中 頼三

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詳細 2022年10月20日 15:22更新

田中 頼三の個人が無かったので作りました。
自由にやって下さい。

★1892年4月27日生〜1969年7月9日没
山口県出身
日本海軍軍人
海軍中将
海兵41期
ルンガ沖夜戦での活躍が知られた提督。

1913年12月19日 海軍兵学校卒業
1914年12月 海軍少尉
1915年10月 巡洋艦「笠置」乗組
1916年8月 戦艦「金剛」乗組
1916年12月 海軍中尉・水雷学校普通科学生
1917年6月 砲術学校普通科学生
1917年12月 駆逐艦「初霜」乗組
1918年5月 第2特務艦隊司令部付
1918年7月 駆逐艦「楠」乗組
1919年8月 戦艦「香取」分隊長心得
1919年12月 海軍大尉・水雷学校高等科学生
1920年11月 潜水母艦「韓崎」分隊長
1921年11月 海防艦「磐手」分隊長
1923年3月 駆逐艦「汐風」水雷長
1923年11月 軽巡「由良」水雷長
1924年12月 第5戦隊参謀
1925年12月 海軍少佐・水雷学校教官
1927年11月 第5戦隊参謀
1929年11月 呉鎮守府参謀
1930年11月 駆逐艦「太刀風」艦長
1930年12月 海軍中佐
1931年10月 駆逐艦「潮」艦長
1932年12月 横須賀鎮守府参謀
1935年11月 海軍大佐
1935年12月 海軍大学校特修学生
1937年1月 第2駆逐隊司令
1937年12月1日 軽巡「神通」艦長
1938年12月 馬公要港部参謀長
1939年11月15日 戦艦「金剛」艦長
1941年5月1日 第6潜水戦隊司令官
1941年9月15日 第2水雷戦隊司令官
1941年10月15日 海軍少将
1941年12月 比島作戦に参加
1942年2月 蘭印作戦に参加
1942年2月27日 スラバヤ沖海戦に参加
1942年6月 ミッドウェー作戦に参加
1942年8月24日〜25日 第2次ソロモン海戦に参加
1942年10月26日〜27日 南太平洋海戦に参加
1942年11月14日 第3次ソロモン海戦に参加
1942年11月30日 ルンガ沖夜戦に参加、部隊を指揮
1942年12月 軍令部出仕
1943年2月 舞鶴海兵団長
1943年10月 第13根拠地隊司令官
1944年10月15日 海軍中将
1946年6月26日 予備役編入

※ルンガ沖夜戦、1942年11月30日夜にガダルカナル島ルンガ岬の沖にて日本海軍とアメリカ海軍の間で行われた海戦である。

経緯
第三次ソロモン海戦(1942年11月14日)後、ガダルカナル島周辺海域の制空権を失った日本海軍は、同島の日本陸軍への補給を闇夜に駆逐艦の高速に頼って行うしかなかった。この輸送は、自嘲的に鼠輸送(米軍側は「Tokyo Express(東京急行)」)と呼ばれた。この輸送をいち早く察知した米海軍は、その阻止のためにカールトン・ライト少将率いる第67任務部隊(ライト部隊)をガダルカナル島沖に派遣する。

1942年11月30日夜、田中頼三少将は駆逐艦8隻で構成される第二水雷戦隊(略称:二水戦 にすいせん)を率いて補給物資輸送を行っていた。二水戦は各艦の予備魚雷を下ろし、その代わりに補給物資を入れたドラム缶を大量に積みガダルカナル島沖に進出する。

ライト部隊の旗艦・重巡「ミネアポリス」はレーダーにより、日本軍より先に二水戦を発見、攻撃準備を整え接近しつつあった。警戒任務を受けていた駆逐艦「高波」は接近中のライト部隊を発見し、旗艦「長波」へ報を送る。この時輸送部隊本隊は、ドラム缶の投下準備を整えつつあったが、田中少将は「敵艦見ユ」の報をうけるやいなや物資投下をあきらめ、全艦に突撃を命じた。

戦闘経過と結果
ライト部隊は哨戒のため独行していた「高波」に集中砲火を浴びせ、同艦を大破炎上させた(のち沈没)。しかしその後、二水戦各艦の放った魚雷が次々と米艦隊に命中、米軍は重巡「ノーザンプトン」が沈没、重巡「ミネアポリス」「ペンサコラ」「ニューオリンズ」が大破するという被害を受けた。圧倒的な戦力差の中、日本海軍が伝統の夜間水雷戦で勝利を収めた最後の海戦となった。

魚雷を射耗した田中少将は、戦闘終了後直ちに艦隊を戦線より離脱させ、4日後の夜再度ガダルカナル島に突入し輸送物資を海上へ投下させ、輸送任務を完遂させたのであった。

しかし、この戦いの一ヵ月後、田中頼三少将は突然第2水雷戦隊司令を解任された。この海戦において指揮を放棄したというのが理由であった。日本側の上層部はこれを「部下に任せるなど指揮放棄で職務怠慢」「攻撃してすぐに退くなど消極的」などとこじつけたのである。
その後の田中少将は、終戦まで艦隊の司令に就く事は無かった。後日、米軍は田中少将の戦術を高く評価し、「田中こそ不屈の闘将である」と言わしめ、「タフネス田中」というあだ名をつけた。


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