馬場 信春個人がなかったので作りました。
★信玄の飛車角。沈着剛毅な武田の剛将。不死身の馬場美濃。不死身の鬼美濃。
武田四名臣の一人。
武田信虎、信玄、勝頼の3代に仕えた。
信春は信房(のぶふさ)と名乗っていた時期もあり、書籍などではこちらを用いているものもある。
正式な名のりは源信春(みなもとの・のぶはる)。
馬場家系図によると馬場氏は、清和源氏の中の摂津源氏、源頼光のひ孫の源仲政(馬場仲政)を遠祖とする源姓の氏族。
摂津源氏の一派である美濃源氏の土岐氏の祖となる源光信(土岐光信)の孫で、美濃国土岐郡に土着した土岐光衝の一族で、甲斐国教来石村に移り教来石氏を名乗る。信春もまた教来石(きょうらいし)景政と名乗り、後に武田一族の馬場氏の名跡を継いで馬場信房と改名、さらに改名して信春となる。
信虎時代
武田信虎の時代から武田氏に仕える。
信玄の初陣である海の口城攻めに参加し、敵将・平賀源心を討つという功績を挙げたと言われている。
天文10年(1541年)、信玄の信虎追放計画に参加していたと言われている。
信玄時代
信玄が武田氏の当主となり、その直後から諏訪・伊奈攻めが始まると、これに参加して武功を挙げた。
このため信玄から、天文15年(1546年)に信虎時代に信虎を諫言したために殺されていた馬場虎貞の代わりに、甲斐武田氏譜代の名門である馬場氏の名跡を継ぐことを許された。
このとき、同時に50騎持の侍大将となり、名も景政から信房と改めた。
その後も信玄の信濃攻めに参加して武功を挙げたため、永禄2年(1559年)に120騎持に加増され、譜代家老衆の一人として列せられた。
永禄4年(1561年)の川中島の戦いでは、上杉軍の背後を攻撃する別働隊の指揮を任されたと言われている。
永禄5年(1562年)には病死した原虎胤にあやかって美濃守の名乗りを許され、馬場美濃守信春と改名する。
永禄11年(1568年)の駿河攻めにも参加する。
永禄12年(1569年)の三増峠の戦いでは、先鋒として北条軍と戦い、武功を挙げた。
元亀3年(1572年)の信玄による西上作戦にも参加し、信玄から一隊の指揮を任されて只来城を攻略した。
三方ヶ原の戦いにも参加し、徳川軍を浜松城下まで追い詰めるという武功を挙げた。
最期
元亀4年(1573年)4月、信玄が死去すると、山県昌景と共に重臣筆頭として武田勝頼を補佐するが、山県と同じく、勝頼からは疎まれたという。
天正3年(1575年)の長篠の戦いでは山県と共に撤退を進言するが容れられず、代わりの策も勝頼の側近に退けられると言った有様であった。
ただしこれは確たる資料に出てくる話ではなく、後世の作り話である可能性が高い。
大敗を喫した勝頼を殿軍を務めて退却させると、自身は反転して織田軍に突撃して戦死した。
信長公記に『馬場美濃守手前の働き、比類なし』と評される最期だった。享年61
武田3代に仕えた40数年間の間、70回を越える戦闘に参加したが、長篠合戦までかすり傷一つ負わなかったことから、「不死身の馬場美濃」または「不死身の鬼美濃」と称された。
江尻城、諏訪原城、田中城、小山城など各地(特に東海道方面に多い)の武田方の支城を建設した築城の名手でもあった。
甲陽軍鑑には山本勘助から築城術を教授されたとある。
「智勇常に諸将に冠たり」と「甲斐国志」に記され、一国の太守になれる器量人であると評されている。
山県昌景と共に武田家の重鎮として語られることが多いが、竜朱印状の奏者であり軍政の中枢にいたことが確認されている山県とは対照的に、信春の発行した竜朱印状は確認されておらず、実際の信春の武田の軍政におけるその地位は不明である。
☆徳川十六将
榊原康政http://
酒井忠次http://
井伊直政http://
本多忠勝http://
松平家忠http://
大久保忠世http://
平岩親吉http://
松平信一http://
大久保忠佐http://
内藤正成http://
高木清秀http://
渡辺守綱http://
服部正成http://
米津藤蔵http://
蜂屋貞次http://
鳥居元忠http://
☆武田二十四将(山本勘助、山県昌景 以外)
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高坂 昌信http://
武田信繁http://
武田 信廉http://
穴山 信君http://
板垣信方http://
甘利 虎泰http://
横田高松http://
原 虎胤http://
内藤 昌豊http://
土屋昌次http://
真田 信綱http://
小幡虎盛http://
秋山信友http://
真田幸隆http://
三枝守友http://
原昌胤http://
小幡昌盛http://
一条信龍http://
多田満頼http://
小山田信茂http://
☆上杉家臣団(村上義清、柿崎景家、直江兼続 以外)
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色部勝長http://
小島弥太郎http://
斉藤朝信http://
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千坂景親http://
安田景元http://
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本庄繁長http://
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松本景繁http://
☆その他の武将
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