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竹内好

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詳細 2016年2月26日 03:08更新

竹内好 1910-77(明治43年-昭和52年)

1910年長野県生まれ。東京帝国大学文学部支那文学科卒業。中国文学者・評論家。1934年武田泰淳らと中国文学研究会を結成し、日本における現代中国研究の端緒を開く。1944年発表の『魯迅』は戦中・戦後の思想界に大きな反響を呼んだ。1953年から60年まで東京都立大学教授。1977年死去。

<竹内好に対する鶴見俊輔の批評>
「中国文学研究者。長野県臼田町に生まれ、東京府立一中、大阪高校をへて東京大学文学部支那文学科を卒業。1934年学友とともに中国文学研究会を結成し、1943年に解散するまで、在野の中国研究団体の一員として、当時の日本政府とはちがう中国観を育てた。このことは当然に日本観のつくりかえを含む。その後魯迅研究に大きな影響を与えた戦時下の≪魯迅≫(1944)にはじまり第2次世界大戦後の≪現代中国論≫(1951)にいたる著作は、日本の文化を中国の文化と比較して<優等生文化>と位置づけ、批判した。戦後は日中国交のない時代に<中国の会>をつくり雑誌≪中国≫を発行し、72年の国交回復までつづけた。東京都立大学教授となったが、1960年の日米安全保障条約承認をめぐる安保闘争で、抗議の辞職(1961)をした。個人訳≪魯迅文集≫(全6巻)を計画したが途上で食道癌に倒れ、門下の人々がこの仕事をひきついで完成した。日本の近代文化に対する痛烈な批判は広く同時代人に影響を与えた」(以上、『平凡社大百科事典』の解説より)。

<魯迅に対する竹内好の批評>
≪「阿Q」が嘲罵され、殴られたときに痛むのは、魯迅の肉体である。魯迅によって、憎むものとして、打撃を与えるために、魯迅から取り出された「阿Q」が、魯迅によって愛されている。それはほとんど私には啓示であった≫(竹内好「『阿Q正伝』の世界性」より)。

<竹内好に対する孫歌の言葉>
「本書を執筆した過程で、かつて竹内好の助手だった飯倉照平氏をはじめ、東京都立大学人文学部中国文学研究室の方々のお世話になった。竹内好本人が通うことはなかった南大沢キャンパスのモダンな建築の一隅で、私は奇妙にもある種の『臨場感』を感得していた。東京都立大学中文研究室にとっては、竹内好は『伝統』的な存在であったろう。そこで得られた『臨場感』も、おそらくそれを認めたうえで初めて成立した感覚に違いない。『伝統』というのは、ときには実在に頼るものではなく、後人の思い出によって再生するものだということを、私は身をもって経験した。この本が世に出るとき、『東京都立大学』がどうなっているかは大いに気にかかることである。しかし、その先行きがいかなるものであろうとも、私にとって、かつて南大沢にあったあの都立大、そしてそこで得られたすべては永遠である」(孫歌『竹内好という問い』より)。

*竹内好ビブリオグラフィは長文のためトピックとして独立させた(2006/11/30)。

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