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大蔵朝臣原田一族

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北部九州の名族であった大蔵朝臣原田一族について研究するコミュニティです。

■月見館[雑談・はじめましてはこちらへどうぞ]
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[大蔵朝臣原田氏とは]

原田氏は高祖劉邦の漢帝国を再興した劉秀から九代目の後漢霊帝の後裔と伝える。
289年応神天皇の時、阿知使主と子の都賀使主らが渡来し、大和朝廷に仕え大蔵朝臣を賜る。

939年大宰府の藤原純友の乱鎮圧のため大蔵春実が源経基・小野好古らとともに出陣。
戦功により菊桐の御紋と日の丸の御印を拝領、征西将軍に任じられ、筑前・豊前・肥前・壱岐・対馬の管領職となる。
城を築き移り住んだ御笠郡の地名をもって原田氏と名乗る。
原田は大蔵氏の嫡流で、一族に秋月、波多江、江上、田尻、三原、原、小金丸あり。

平安末期、原田種直は平氏方として活躍。
平清盛の長男である平重盛の養女(平家盛の娘)を妻とし、事実上の大宰府の長官となり、九州における平氏の基盤を築く。
平氏都落ちの際には岩門城の私邸を安徳天皇の仮皇居にする。
平家が壇ノ浦で滅亡すると、原田も領地を没収され、種直は鎌倉に幽閉の身となる。
扇ヶ谷の土牢にて十三年、放免後は怡土庄の地を与えられる。

元寇の際は種照・種房兄弟が奮戦。
南北朝時代には足利直義軍に加わり各地に転戦。
征西府の全盛期には菊池氏の縁戚となる。
一時家運は衰退するも、室町後期には大内氏の家臣として弘種・興種・隆種が活躍。
大内氏滅亡後は龍造寺、毛利、島津と盟を結ぶ。

最後の当主・信種の代には大友氏を駆逐し糸島全土を領土となす。
しかし、秀吉の九州征伐の際に遅参し領地を没収される。
その後、加藤清正の配下となり朝鮮へ出兵するも、尉山城の戦いにおいて病死。
その子孫は会津藩に仕え、幕末には家老・種龍、朱雀隊・種英らが官軍と戦う。


全国には平家家人筑前の大蔵姓原田氏や三河の大蔵姓(平姓)原田氏の他、美作菅家(桓武平氏)原田氏、遠江藤原姓工藤氏族、藤原姓菊池氏族原田氏などがある。


代表的当主:
大蔵春実、原田種直、種成、種頼、種照、種之、種房、種貞、種賢、種義、興種、隆種、信種、嘉種、種英、種龍

一族:
秋月、波多江、江上、原、三原、高橋、小金丸、美気、田尻、大矢野、天草、長島、龍造寺、菊池
 
キーワード:
藤原純友の乱、刀伊の入寇、源平争乱、平家物語、元寇、蒙古襲来、南北朝争乱、応仁の乱、戦国時代、文禄・慶長の役、朝鮮征伐、蔚山の戦い、天草の乱、戊辰戦争、会津、朱雀隊、九州、鎮西、平家、征西府、菊池、大内、大友、少弐、毛利、小早川、秀吉、加藤、清正、寺沢、保科、平重盛、安徳天皇、香春、宝珠山、高祖、大門、金龍寺、怡土、伊都、深江、加布里、波呂、前原、志摩、二丈、糸島

開設日
2005年04月18日
(運営期間4181日)
カテゴリ
学問、研究
メンバー数
84人
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