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六代将軍正室 天英院 (熙子)

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詳細 2013年9月6日 09:54更新

近衛 熙子(このえ ひろこ、寛文6年3月26日(1666年4月30日) - 寛保元年2月28日(1741年4月13日))は、江戸幕府6代将軍徳川家宣の正室。父は近衛基熙、母は後水尾天皇の皇女・(品宮)常子内親王。夫の死後落飾して天英院(てんえいいん)と名乗る。

延宝元年(1679年)、徳川綱豊(後に家宣)に嫁ぎ、綱豊との間に2人の子供を儲けたが、いずれも夭折する。その事で彼女はかなり嘆き悲しみ、そのためかいずれの子供も徳川家とは別に、日蓮正宗常泉寺にて戒名を頂いている。そして30年後に夫綱豊は家宣となって6代将軍に就任し、天英院は江戸城大奥に入った。

正徳2年(1712年)に夫家宣は病により没し、剃髪して院号を天英院と号する。従一位を賜り、一位様と呼ばれたりもした。

ちなみに後の八代将軍徳川吉宗を将軍に指名したのは彼女である。当時の江戸城内の最高権力者は天英院である。御三家と言えども天英院には逆らえなかった。理由は家宣と吉宗の考え方が一番近かったからだと言われている。最初は誰しも難色を示すが、御台所としての立場を最大限に生かしつつ「これは先代将軍家宣公の御本心なのです。」と言ったとされる。これにより幕府は将軍がいないという異例の最大の危機を逃れる事が出来た。

一時期、月光院とは対立関係になってたが徳川家継が病気で危篤状態になり嘆き悲しんでいた月光院を励ましたりした。寛保元年(1741年)、76歳で没。

日蓮正宗総本山大石寺の山門(三門)を寄進した。

また、浄土宗明顕山祐天寺に鐘楼を寄進した。

戒名は「天英院殿従一位光誉和貞崇仁尊儀」

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