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藤田元司

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詳細 2017年4月11日 20:10更新

原辰徳のコミュがあってこの人のコミュがないことに憤りを感じ、立ち上げました。

昭和6年、愛媛県新居浜市に生まれる。

慶應義塾大学時代、通算31勝を記録するもリーグ優勝は1年春のたった1回。ゆえに「悲運のエース」と呼ばれた。

その後日本石油を経て、昭和32年巨人軍入団。1年目から17勝を挙げて新人王に輝くと、昭和33年には29勝、昭和34年には27勝をあげ、リーグ優勝に大きく貢献する。しかし、日本シリーズにおいては度重なる力投を見せるも報われず、一度も日本一にはなれなかった。

その後、登板過多で肩を故障。昭和39年に現役を引退。実働8年で119勝88敗、防御率2.20

現役引退後は川上監督の下、投手コーチを努めV9を支える。昭和50年〜51年、大洋ホエールズ(現横浜DeNAベイスターズ)の投手コーチ就任。

昭和55年、巨人軍が球団史上初の3年連続V逸(2リーグ分裂後)が確定的になり長嶋監督への批判が高まる中、「次はおまえしかいない」という状況で『命までは取られまい』と覚悟し、巨人軍監督就任を承諾。長嶋監督を解任に追いやったというような敵役の形となり、激しい非難を浴びる。

昭和55年のドラフト会議で4球団競合の中、東海大学の原辰徳(現巨人監督)の交渉権獲得のあたりくじを引き当てる。これが原辰徳が藤田元司を恩師と呼ぶ由縁である。

昭和56年(監督就任1年目)王助監督、牧野ヘッドコーチとのいわゆる「トロイカ体制」で4年ぶりのリーグ優勝。日ハムとの日本シリーズも制し、長嶋監督が果せなかったV9以来の8年ぶりの日本一を奪回。

昭和58年オフ、王助監督に監督を譲る形で監督を勇退。

昭和63年オフ、王監督辞任の後任として再び巨人軍監督に就任。それまで巨人軍の監督は再任することができないという不文律があったが、初めてこれが破られる。

平成元年(2度目の監督就任1年目)またしてもリーグ優勝を果す。近鉄との日本シリーズも制し(3連敗から4連勝)、王監督が果せなかった昭和56年以来8年ぶりの日本一を奪回。

平成4年オフ、長嶋監督2度目の巨人軍監督就任に伴い、監督を勇退。

監督としては実働7年でリーグ優勝4回、日本一2回。長嶋、王というスーパースターの「つなぎ役」というイメージがあるが、巨人軍を再建した名将である。

原辰徳のみならず、藤田元司を恩師と慕う野球人は多い。

平成18年2月9日、心不全のため死去(享年74)

わたしは現役時代は知るはずも無いですが、監督時代はジャイアンツファンとして、「強い巨人」を見せてくれる監督で大好きでした。

共感できる方がいらしゃいましたらお集まりください。

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