慈悲なき階級に逆らい、
パンなき民衆のために闘い、
生きては、牢獄の壁に囲まれ、
死して彼は棺の中にあり。
(「インタナショナル作詞者ポティエによるブランキの墓碑銘)
ブランキはその生涯のうち、36年半を牢獄で過ごした不屈の革命家だった。七月王政下で12年4ヶ月、第二共和国下で3年6ヶ月、第二帝政下で12年4ヶ月、第三共和政下で8年3ヶ月を数え、最後に牢獄を出たのは1879年、74歳の時であり、彼が死ぬ1年半前だった。
晩年のエンゲルスやその後のマルクス主義者によりブランキの革命理論(ブランキズム)は、少数の革命的先鋭分子による民衆無視の武装蜂起と批判されて以来、一揆主義、武装蜂起主義と矮小化されてきた。
確かにブランキの革命理論の中枢には、革命的前衛の武装蜂起論があり、そのための歴史上、四季協会(季節社)と呼ばれる地下の秘密組織が形成された。
しかし、ブランキ理論の根幹にあるのは、民衆の革命的創造力と少数の革命指導者とのダイナミックな関係であり、民衆の武装であり、権力を掌握した革命家たちの上からの独裁(マルクス主義者がいうような)ではない。
ブランキ主義とは、マルクス主義による左翼思想史では初期社会主義とされているが、その内実は社会主義的な国民革命主義であり、究極的にはブランキによれば「秩序ある無政府」である。その意味では、現代のナショナリズム、ファシズム、アナキズムとも無縁ではない。
ブランキのテキスト
●革命的共和国をめざして―七月王政下の闘争
●三色旗か赤旗か―二月革命と第二共和政
●フランス革命論―ロベスピエール・ノート
●社会批判―資本と労働
●武装蜂起教範
●コンミューンの烽火―祖国は危機に瀕す
●抑圧された奴隷の軍隊
●コンミューンの同志たちへ
本コミュニティでは、そのようなブランキの理論について思想史的に、その生涯のうち36年半もの間を牢獄で過ごした、この稀代の革命家の生涯と共に考えていきたい。