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写真家 宮武東洋

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詳細 2013年5月8日 15:34更新

写真家。宮武東洋 (1895-1979)
宮武東洋は明治28年(1895年)香川県生まれ.
先に移民として渡米した父から呼び寄せられ、母親と二人の兄と共に明治42年(1909年)、カルフォルニア・ロサンゼルスの日本人町リトル・トウキョウに移住。
21歳の時、写真芸術家を志し両親の反対を押し切り、LAでの肖像写真で名声を得ていたハリー・K・シゲタ(重田欣二)の写真スタジオに弟子入り。
前年に結婚をしたのを機に独立、写真スタジオを開業。

一世として、戦時中、マンザナール日系人強制収容所へ。

宮武のスタジオでは弟子のジャック岩田氏がいたが、彼も収容所へ。(ジャック岩田氏は映画評論家である故淀川長治氏をハリウッドに案内、取材協力したことでも知られる共同通信社の米国法人「共同ニュース・カリフォルニア」元総支配人。)

宮武東洋は、戦前からアンセル・アダムスと親交があり、夕刊日本語新聞『羅府新報』と専属契約して、日系交響楽団の写真を撮り続けた写真家でもある。
強制収容所ではアンセル・アダムスと交流し、二人の写真集も洋書で何冊か発行されていた。宮武はアメリカ・イギリスで国際的に活躍、数々の賞を獲得、日系新聞RafuShimpo(1906年創刊)に掲載写真を提供した。

以下、ウィキペディアより引用。

マンザナール収容所のほとんどの写真は宮武東洋(東洋は家族とともに収容された)とアンセル・アダムズによって撮影された。アダムズはその息をのむようなヨセミテの写真で知られているが、彼は収容所を訪れる内に宮武と親しくなり、彼を手助けした。宮武はロサンゼルスを中心に活躍した写真家であるが、レンズ、フィルム、フィルムホルダーを隠して持ち込み、後で収容所内の職人に扉のついた木箱を作らせ、その中にレンズを隠した。宮武の持ち込んだカメラは結局見つかり没収されたが、収容所長は宮武を所内の公式カメラマンに指定した。宮武は収容所内で自由に写真を撮ることができるようになった。当初宮武はシャッター・ボタンを押すことを許されず、彼はこの単純な作業を収容所の職員に行ってもらった。最終的に所長はこの専門的作業に問題を発見せず、宮武が一人で写真を撮ることを許可した。テレビ映画『Farewell to Mazanar』ではパット・モリタがZenahiro(宮武に基づく登場人物)を演じた。

著作関連

宮武東洋の写真―マンザナー日系人収容所の記録・ロサンゼルス・オリンピック1932 細江英公他編1984年刊 文藝春秋 絶版

宮武氏のお孫さんが、最近ロスのリトルトーキョーにスタジオを作ったようです。
http://72.14.253.104/search?q=cache:ub2LgRBOeUcJ:www.rafu.com/j_toyo.html+宮武東洋&hl=ja&ct=clnk&cd=12&client=safari

現在のToyo Miyatake Studio
http://www.toyomiyatake.com/index.html

以下は宮武氏によって撮られた写真を編輯した短篇映画。
http://www.janmstore.com/230010.html


↓映像部分

すさまじいセンス。
↓こちらが強制収容所での写真、1分24秒の回顧ですが、泣けます。
http://www.janm.org/mediaarts/video/camp_dsl.ram
Life in Camp: Like 120,000 other Japanese Americans, Toyo Miyatake and his family were incarcerated during World War II. Realizing the importance of his position as a photographer, Miyatake vowed to document life in the camps so that future generations would never repeat such an injustice.

http://www.janm.org/mediaarts/video/intro_dsl.ram
Introduction: Hirokazu Kosaka, Buddhist priest and friend of Toyo Miyatake describes the cultural basis for Miyatake's asthetic:

"In architecture in Japan, there is a veranda. Its a Sanskrit word, a Buddhist word, its 'to meet.' And this is the space where man meets nature. Its not yes or no, it could be maybe. Its not white or black, its infinitesimal of gray. And this gray space ? that's what Miyatake was trying to create."

http://www.janm.org/mediaarts/video/ltokyo_dsl.ram
Little Tokyo in the 1920's: Karin Higa, Senior Curator of Art at the Japanese American National Museum, describes LA's Little Tokyo District during the 1920's. Miyatake was at the peak of his artistic development during this period, using light and shadows in a way that is quite modern even by today's standards.


http://www.janm.org/mediaarts/video/club_dsl.ram
Japanese American Pictorialists: Toyo Miyatake was one of many Japanese American photographers who gained worldwide acclaim during the pictorialist era (ca. 1920-1945). One critic 1928 wrote, "The influence of this group has put a lasting mark on photography in this country, the repercussions of which are echoing throughout the world."

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カテゴリ
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