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筑後柳川・蒲池物語

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詳細 2016年8月2日 18:45更新

■筑後国蒲池
蒲池は、柳川地方で初めて人が居住した地域といわれ、約2千数百年前の弥生式土器が出土しており、その頃から、この地域で稲作が始まったと推定されており、柳川市ではもっとも早く開けた地域。
鎌倉時代から戦国時代の終わりまで柳川城に拠り下筑後地方を支配した蒲池氏の発祥地。

■柳川市と蒲池氏
水郷で有名な柳川市では江戸時代の柳川藩主の立花氏が有名だが、柳川市のルーツになる柳川城を築城し、永らく柳川の領主だったのは、下筑後(筑後国東部)地方を領し、筑後十五城の旗頭だった蒲池氏だった。

■前蒲池(嵯峨源氏)
蒲池氏は源融(※)にはじまる嵯峨源氏の流れを汲み、『蒲池家譜』によると九州に下向した源満末の孫の源久直が源平合戦の功により鎌倉時代に筑後国三潴郡の地頭職となり、蒲池村に住んだことにはじまる(前蒲池時代)。
(※)「みなもと・の・とおる」。紫式部『源氏物語』の主人公の光源氏の実在モデルとされる従一位大納言で左大臣の公家)

■後蒲池(宇都宮氏)
『下野宇都宮正統系図』などによると南北朝時代末期に、藤原氏北家の藤原道兼(藤原道長の兄)の流れを汲む宇都宮氏の一族で、肥後の南朝方の征西府にいた筑後宇都宮氏の宇都宮久憲が蒲池氏の娘婿となり名跡と遺領継承する(後蒲池時代)。

■筑後十五城筆頭
『筑後国史』その他によると戦国時代には、筑後十五城の筆頭で1万2千町(12万石)を領した蒲池鑑久、鑑盛、鎮漣(鎮並)の柳川の嫡流(下蒲池)、8千町(8万石)を領した蒲池親広、鑑広、鎮運の八女の分流(上蒲池)と最盛期を迎える。

■蒲池鑑盛
中でも、柳川の蒲池鑑盛(蒲池宗雪)は、「義心は鉄のごとし」といわれるほどの義にあつい武将だった。
筑後守護以来、筑後を支配した大友氏の幕下の一人だった鑑盛は、佐賀を追われてきた龍造寺家兼を、戦の場以外では討つことをよしとせず領内で保護し、家兼の佐賀回復の助力をした。また家兼の後を継いだ龍造寺隆信も佐賀を追われて筑後に流れてきた時、鑑盛は、主筋の大友氏に敵対的な龍造寺隆信を討つことはなく、領内の一木村にて約2年以上にわたり保護し、隆信を滅亡の縁から救った。
鑑盛は、本城の蒲池城が手狭になったため、祖父の治久、あるいは父の鑑久の手になる柳川城を本格的に造作し、城の周囲に水郷を張り巡らせ、九州でも屈指の難攻不落の城とし、蒲池氏の勢力を盤石のものにしていく。
鑑盛は、大友氏の筑後幕下衆の筆頭として度重なる合戦に出陣していたため、なかなか柳川城下には手がまわらなかったといわれているが、それでも道路や橋を整備し、その後の田中氏や立花氏による柳川の町づくりの基礎を作った。
晩年の鑑盛は入道し蒲池宗雪と名のっていたが、大友氏が島津氏と激突した日向国耳川の合戦に、すでに老身で病も持っていたが3千の兵を率いて出陣する。戦いは島津氏の大勝利となるが、総崩れの大友氏方において先鋒に布陣していた鑑盛は何度も島津氏本営へ突入すべく奮戦し壮烈な最期をとげた。

■蒲池鎮漣(鎮並)
後を継いだ蒲池鎮漣は大友氏からの独立の意志を持っており、義父でもあった龍造寺隆信に接近していた(隆信は鎮漣の父鑑盛に保護された恩から娘を鎮漣の妻として、蒲池氏とは親戚関係にあった。ただし鎮漣の正室は肥後の菊池一族の赤星氏の出というので側室あるいは後妻か)。
しかし、まもなく鎮漣は隆信と対立するようになる。隆信が九州中央への進出のため堅城のある柳川を欲したとも、鎮漣が隆信の所業の残忍さについてゆけなくなったともいわれる。
そして蒲池氏と龍造寺氏の間の戦端は開かれ、約2万の龍造寺軍が柳川に押し寄せ、柳川城を包囲する。
柳川城は蒲池鑑盛による城造りから「柳川三年肥後三月肥前筑前朝飯前」と戯れ歌にも歌われるほどの難攻不落の城であり、約1年近くの籠城戦を戦い抜いた。鎮漣は伯父の田尻鑑種の仲介で龍造寺隆信と和議を結ぶ。
鎮漣は薩摩の島津氏と連絡し、龍造寺氏に対抗しようとするが、それを知った隆信は、柳川城を攻め落とすことは出来ないため、蒲池と龍造寺両家の和の宴席という奸策と謀略で鎮漣を肥前に誘い出して襲撃し、鎮漣を謀殺した。
柳川に残った鎮漣の一族は龍造寺氏への帰順の意を示すが、隆信は鎮漣一族の容赦のない皆殺しを鎮漣の伯父の田尻鑑種に命じた。その結果、親族同士が戦うことになった柳川の戦いにより蒲池氏の嫡流は滅びることになる。

■鎮漣一族の子孫
生き残ったのは、長崎に落ち延びた鎮漣の娘の徳姫、豊前に落ち延びた次男の宮童丸(後の蒲池経信)、鎮漣の兄の鎮久の子の熊千代(後の蒲池貞久)、鎮漣の弟の統安の子で僧籍にあり難を免れた応誉などだった。
徳姫は豊後の朽網鑑康の妻となり、蒲池の名跡を再興する。幕末の幕府最後の西国郡代となった2千石の旗本の窪田鎮勝(蒲池鎮克)はその子孫であり、鎮克の子の鎮章は幕将として鳥羽伏見の戦いで戦死。
蒲池経信の子孫は豊前の富裕郷士・大庄屋となり、龍造寺家晴の配下となった蒲池貞久の子孫は佐賀藩諫早家の家臣となる。
応誉は、柳川藩主となった立花宗茂に招かれ正室の訐藺紊諒酊鷸(良清寺)を開き、応誉の子孫は代々住職を出すと共に還俗した一族は寺を守り、柳川藩主立花氏の家老格の武家となる。
また鎮漣の従兄弟で蒲池一族の大木統光の子孫は佐賀藩士となり、明治には大木喬任が伯爵になり華族に列せられた。

■蒲池分家の子孫
残った八女の分流(上蒲池)の蒲池鎮運は、豊臣秀吉の九州平定の際、島津側にあったため所領を没収されるも、立花宗茂の弟の直次の与力として3千石の大身となる。鎮運は秀吉の朝鮮の役の時に釜山で死に、その子の重広は、関ヶ原の戦いに立花氏与力として西軍で戦い、西軍の敗北により領地を失い浪人の身となる。筑前の黒田藩が重広を家臣とし、その子孫は群奉行の家として明治に到る。

■蒲池法子(松田聖子)
柳川とその近隣に存続した蒲池一族は、柳川藩の蒲池家、蒲池鎮漣の嫡子の統虎丸(蒲池久鎮)の名跡を継いだ郷士の蒲池家をはじめ、徳姫の流れを汲む久留米郷士などいくつかの流れがある。その中で、その後、もっとも有名になったのが蒲池鑑盛(蒲池宗雪)の三男の蒲池統安の流れを組む柳川藩立花氏家老格の蒲池家の子孫である久留米出身の歌手の松田聖子(蒲池法子)だろう。

■関連コミュニティ
源融と嵯峨源氏
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藤原氏族・宇都宮氏
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柳川・立花訐藺紊販廟胸
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■ウィキペディア
蒲池氏
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%92%B2%E6%B1%A0%E6%B0%8F
宇都宮久憲(蒲池久憲)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E9%83%BD%E5%AE%AE%E4%B9%85%E6%86%B2
蒲池鑑盛
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%92%B2%E6%B1%A0%E9%91%91%E7%9B%9B
蒲池鎮漣
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%92%B2%E6%B1%A0%E9%8E%AE%E6%BC%A3
大木統光
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9C%A8%E7%B5%B1%E5%85%89
窪田鎮勝(蒲池鎮克)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AA%AA%E7%94%B0%E6%B2%BB%E9%83%A8%E5%8F%B3%E8%A1%9B%E9%96%80
筑後国
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%91%E5%BE%8C%E5%9B%BD
蒲池
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%92%B2%E6%B1%A0#.E5.9C.B0.E5.90.8D
筑後十五城
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%91%E5%BE%8C%E5%8D%81%E4%BA%94%E5%9F%8E
柳川城
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E5%B7%9D%E5%9F%8E
柳川市
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E5%B7%9D%E5%B8%82

■リンク
蒲池物語:歴史・系譜・史跡
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/1235/
武家家伝_蒲池氏
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/kamati_k.html
柳川・蒲池物語
http://www.geocities.jp/bicdenki/newpage89.htm
玉鶴姫の意地
http://www5b.biglobe.ne.jp/~ms-koga/b-044-tamatsuru.htm

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